さよならを言わない別れ(Aルート)
朝日が差し込むリビング。
昨夜、静かに玄関を閉めた音は、家の空気を少しだけ凍らせた。
でも妻の胸の奥には、凍った気持ちを溶かすような熱が残っている。
——私は自分を守るために動く。
バッグを肩にかけ、手に持った書類や着替えを何度も確認する。
「忘れ物はない…よね」
呟く声に、わずかな震えが混ざる。
この行動は単なる外出ではない。
過去の“犠牲の日常”から一歩踏み出す瞬間だ。
階段の途中、子どもたちの寝室に忍び足で寄る。
まだ夢の中の寝顔。小さな手が布団の中でかすかに動く。
「ごめんね、今日だけ我慢して」
胸の奥で罪悪感が波のように押し寄せる。
でも、それ以上に「自分を守る」気持ちが強い。
リビングで待つ悠介。
彼は無言で新聞を開き、何事もなかったかのように振る舞う。
「おはよう」
挨拶も心ここにあらず。
妻はその無関心さに軽く息を吐く。
——もう、これ以上は期待しない。
妻は子どもたちを起こし、手を握る。
「今日はママと一緒に行こうね」
その言葉に子どもたちは眠そうな目をぱちりと開ける。
小さな声で「うん」と応える。
それだけで、妻の心は少し和らぐ。
玄関に向かいながら、最後に振り返る。
夫の姿はまだ新聞の向こう。
その背中には変化の気配はない。
でも、もう自分の心は決まった。
——私は動く。もう後戻りはできない。
ドアノブを握る。
指先に伝わる冷たさが、今の決意の強さを象徴しているようだった。
そっとドアを開け、外に踏み出す。
静かな朝の空気が、胸の奥の緊張を少しだけ和らげる。
深呼吸をし、スマホを手に取る。
先輩からの返信が来ている。
《いつでも来ていいよ》
涙が溢れそうになるが、ぐっと堪える。
——私は、今、自分を守る行動を選んだ。
子どもたちの手を握り、バス停に向かう途中で心の中で呟く。
——これが私の生きるための一歩。




