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汚された箱庭  作者: 瀬川弘毅
6 箱庭の行く先
33/34

33 未来

 その後、無事に政府軍へ戻った和泉零二によって、NEXTの計画の全貌は明かされた。一部始終を聞かされても半信半疑であった政府高官も、変わり果てた姿となったジェームズらを目にして考えを改めた。彼らの身柄は厳重に拘束され、国際研究機関NEXTは解散させられた。

 救済の雨を浴びることができたのは、僅か十数名の科学者たちに限られた。人生の残された時間を、彼らは醜悪な肉体と共に歩むより他にない。ある意味、それは死よりも重い罰だった。


 政府軍最高司令官へ再び就任した零二は、自身がNEXTの言いなりになっていたことを改めて謝罪した。包み隠さず全てを明らかにすることが、彼にとっての贖罪でもあった。ちょうど、蓮が自分の過去を討伐隊の仲間に打ち明けたように。

 零二にとって最優先すべきは、今後の世界のあり方をどうすべきか、ということだった。ジェームズは最終決戦の折に、スパイダーの巣はいずれ全て崩壊すると言っていたという。関係者への取り調べを進めていく中で、あと約五年で糸のエキス化が始まると分かった。その根拠となるデータも押収し、何度も会議を開いた。

 そして、ようやく結論らしきものを導き出した。


「スパイダーの巣は、あと五年で崩壊します。NEXTの科学者が言う通り、これは事実です」

 大会議室にて、零二は官僚たちを見回しながら言った。

「タイムリミットまでに大気の状態を改善し、スパイダーの巣がなくなっても、人々が普通の暮らしを続けられるようにしなければなりません」


「本当にそんなことができるのですか?」

 中年の男が一人、疑わしげな視線を投げかけてくる、彼に向かって、零二は深く頷いた。

「私は可能だと信じています。NEXTの有していた科学技術を転用すれば、スパイダープランとは別の方法で地球環境を守ることだってできるはずです。すぐに成果を出すのは難しいかもしれませんが、各国と連携し、必ずや代替策を提示します」


 顔つきが生き生きとしていて、以前とはまるで別人のようだった。NEXTの呪縛から解き放たれ、零二は彼自身を取り戻していた。書類に目を落とし、続ける。

「では、お手元の資料の四ページをご覧下さい。次に、住民保護の方策についてです。スパイダーの巣がエキス化した際、降り注ぐ雨から住民たちを守らなければなりません。避難指示を出し誘導するのはもちろんですが、それに加え、街全体を覆う巨大なヴェールのようなものが必要になると思われます。その開発については、次ページの図を……」

 話し合いは円滑に進められた。誰もが未来を見据え、前に進もうとしていた。



 政府内で零二が奮闘している一方で、討伐隊も活動を続けていた。NEXTの計画を止めることはできたが、世界からスパイダーという存在が消滅したわけではない。彼らはいまだ雲の上に巣くい、時に下界で人間を喰らう。今までと変わらず、隊員たちとスパイダーは戦いを繰り広げていた。


 ただし、変わった点もいくつかある。一番大きな違いは、討伐隊が国家公認の組織となったことだ。NEXTと命懸けで戦い、ジェームズらの思惑を阻止した功績が認められたためである。人類の命運がかかった戦いを、他からの援助を受けずして勝ち抜いたのだ。むしろ、何も評価されない方が不自然だったかもしれない。

 公認団体となったことで、色々な変化があった。政府軍の追跡を恐れる必要も、キャンプ地を転々とする必要もなくなった。軍の使用していた施設の一部を利用させてもらい、隊員たちはそこに寝泊まりすることになった。



「まあ、一難去ってまた一難って感じだな」

 面倒臭そうに岸田は言った。軍施設の演習ルームを借りて、彼はそこに班員たちを集めていた。射撃場の的にもたれかかり、楽な姿勢をとっている。

「NEXTは潰せたが、肝心のスパイダーって脅威は去っちゃいない。俺たちの活動の成果か、最近じゃ被害件数はだいぶ減ってきてはいるけどな。というわけで、お前らに今一度問いたい。これからも討伐隊に残りたいか、否か」


「うち、残りたいです!」

 元気よく手を挙げ、笑顔で森川が言った。

「家計支えるためには、まだまだ稼ぎ足りてへんし」

 それに、と付け足すように、横目で佐伯のことをちらりと見る。彼ともっと一緒にいたいというのも、彼女をとどまらせた要因の一つだった。


 森川の想いに気づいているのか定かではないが、佐伯も静かに挙手した。

「俺も残る。そもそも、俺はスパイダーを倒すために討伐隊に入ったんだ。NEXTとの戦いなど回り道にすぎん」

 横から熱い感動の眼差しを向けられているのを感じて、佐伯はやや面食らっているようだった。考えていることが顔に出やすいタイプであることを、おそらく森川本人は自覚していない。しかし佐伯もまた、まんざらでもなさそうだった。


 無言で交わされるやり取りに見ぬふりをし、蓮も続いて手を挙げた。

「残ります、俺も」

 佐伯は両親をスパイダーに殺された。森川の家族は経済的に困窮している。井上は通っていた高校でいじめに遭い、一時は死を考えるほどだった。だが、蓮には他の三人と違い、帰る場所がある。


 父である零二とは幾度かの対立を乗り越え、和解することができた。家に戻って、母の恵梨との軋轢――零二とのそれに比べれば、大したことはない――を解消することは難しくないはずだ。討伐隊で過ごしている間の遅れを取り戻すべく必死に勉強すれば、良い大学に進学することもできるかもしれない。そうすれば、ゆくゆくは父の右腕となってこの世界のために働くことも夢ではなくなる。そういう貢献の仕方もあり得た。

 けれども、蓮はスパイダーと戦い続ける道を選んだ。自分に宿された力を最大限に活かせるのは、隊員としての務めを果たすことだと思ったからだ。それに、ずっと一緒に過ごした仲間と離れるのも辛かった。


「……私も」

 少し迷った素振りを見せたのち、最後に井上も挙手し、採決はすぐに取られた。概ね満足したような面持ちで、岸田は全員の顔を見た。

「優秀な部下と引き続き仕事ができて、俺は嬉しいぞ」

 どうも白々しい印象を受けるが、多分こうなることを予想していたのだろう。彼の心は既にどこか別のところへ行ってしまったようで、台詞からは浮足立った調子が滲んでいた。

「それじゃ、俺はちょっと行くところがあるから。お前らは射撃練習五十回しとけ」

 適当に命じると、岸田はふらりと立ち去った。スパルタやん、と森川がぼやき、班員たちはしぶしぶ訓練を開始した。



「どうぞ」

 ドアをノックする音が聞こえ、岩崎友美は玄関の方を振り向いた。ガチャリとドアノブを捻って足を踏み入れたのは、岸田であった。

「お邪魔します」

 軍が討伐隊に提供している住宅のうちの一室を、彼女たちも使わせてもらっていた。

 若干照れたような笑みを浮かべ、履物を脱いで揃える。居間に向かった彼を、ユグドラシルが笑顔で迎えた。

「おじさん、また来てくれたの?」

「おい、おじさん呼びはやめろ」

 岸田は苦笑いし、岩崎と顔を見合わせた。


 NEXTの脅威に怯える日々は終わり、今やユグドラシルは完全に自由の身となっている。彼女は計画の鍵を握る存在ではあったが、能力者であっても人類の脅威ではないと政府に判断された。ゆえに、監視をつけられることもなく、伸び伸びと生活している。実験施設に囚われていた鬱憤を晴らすように、毎日色々なものを見て、触れている。今は、テレビでやっている音楽番組を熱心に見ていたらしかった。


「ちょっと、話したいことが」

 切り出した岸田に、岩崎は微笑んだ。

「分かりました。……ユグちゃん、少しここで待っててね」

「うん」

 ユグドラシルは素直に頷いた。いずれ、彼女にも普通の名前を付けてやった方がいいかもしれない。日常生活で、何かと不便なことも出てくるだろう。


 彼女を残し、二人は岩崎の自室へ向かった。ベッドに並んで腰かけ、問いかけるように岩崎が岸田を見る。今日の彼は、少し歯切れが悪かった。

「……今後のことなんですが、岩崎さんはどうするつもりですか」

「私ですか?」

 小首を傾げ、岩崎が答える。

「これからも討伐隊の皆さんのサポートをしたい、と思っています。皆さんには本当にお世話になりましたから、少しでも恩返しをしたいんです」


「良いと思います。ちなみに、あの子は?」

 重ねて質問した岸田に、岩崎はあまり間を空けずに応じた。前から考えてあったことのようだった。

「ユグちゃんは施設で過ごした時間が長すぎたから、今すぐにこの世界に適応することは難しいと思います。少しずつ慣らしていって、いずれは勉強なんかも教えてあげたいです」

「なるほど」

 心から感心したように、岸田は何度も頷いた。そして刹那の逡巡ののち、腹をくくった。何度も声が震えそうになったが、勇気を振り絞った。


「岩崎さん。その、今後のことに関してなんですけど」

 彼女の細い手をとり、そっと握る。岩崎が驚いたようにこちらを見た。

「……ずっと、言おうと思っていたことがあります」


 ほんのりと頬を赤らめて、彼女は一瞬目を伏せた。上目遣いに岸田を見て、岩崎はにっこりと笑った。

「私も、岸田さんに言おうと思っていたことがあります」

 夕日の差し込む部屋の中で、二言三言、短い台詞が交わされた。

 やがて、互いが相手の体に優しく手を回し、恋人たちはぎゅっと抱き合った。



「僕たち、これからどうなるんでしょうね」

 討伐隊の正規の構成員ではない彼らには、割り当てられた部屋はない。一時的な措置として、特殊部隊に属していた頃使っていた建物に寝泊まりさせてもらっている。

「さあな」

 ぼやいた松木に、澤田は曖昧な答えを返した。狭い部屋の中では、やけに空気が重く感じられた。

「俺たちは、生き残った数少ない能力者だ。スパイダーに対抗できる貴重な戦力になれる。討伐隊に入りたいと言えば、あいつらも拒みはしないだろう」


 澤田自身、何度もそうしようと思った。入隊すれば、今の宙ぶらりんの立場よりははるかにましな生活ができるはずだ。強力な助っ人として歓迎もされるだろう。ただ、その度に何かが彼を押しとどめたのだ。本当に正しい選択肢を自分が選べているのか、いまひとつ確信が持てなかった。


「でも実際、それはそれで面倒だと思うんですよ。関東エリアには和泉蓮と佐伯雅也がいますし、仮に僕らが入隊したとしてもここは明らかに人手が足りてます。多分、別の地区に飛ばされるはずです。おそらくは、全然馴染みのないところに」

 黒い眼鏡を指でくいっと押し上げ、松木が言った。

 なるほど、確かに一理ある。冷静に物事を分析できるのは、彼の長所だ。長い付き合いの中で、澤田も何度も助けられた。


「スパイダーを一匹倒すのに、能力者は各エリアに二人もいれば十分というわけか。的を射た指摘だ。……白石、お前はどう思う?」

 名前を呼ばれて、玄関ドアの向こうで誰かがびくりと身を震わせる気配があった。

「な、何で分かったんですかっ」

 顔を赤らめて中に入ってきた彼女を、澤田は呆れたように見た。

「足音を消せてなかったぞ。部屋の前に立っているのがバレバレだ」


 能力者は、姿を変化させずともある程度の力を発現できる。彼女の場合、人間の姿のままではジャンプ力はさほどでもないが、聴力は健在だ。長い耳を持つウサギ由来の異能を駆使すれば、壁を隔てた会話の盗み聞きなどお手の者である。

「すみません、何だか深刻そうなお話だったのでつい、立ち聞きを……」

「謝らなくていい。お前はどう思うかと聞いてるんだ」

 恐縮してぺこぺこ頭を下げる彼女を制し、澤田は言った。決戦の後、瓦礫を避けてユグドラシルを安全に運ぶという大役を果たした白石だったが、今は全くもって普段通りだった。つまり、少し天然でドジなところのあるティーンエイジャーだ。


「私は……もう一度、司令について行きたいと思ってます」

 真剣な表情に戻って、白石が意志を表明する。それを聞いて、松木は眉をぴくりと動かした。

「どう思います?澤田さん」

「悪くないんじゃないか」

 鷹揚に頷き、澤田は応じた。


「司令の今までの行動に問題がなかったといえば嘘になるが、いつだって司令はこの国のために精一杯頑張ってきた。スパイダープランの欠陥が明らかになった今、日本は再び危機に直面している。大変な時期だ。俺たちに手助けできることもあるはずだ」

 おぼろげながらも、将来のビジョンが掴めた気がした。自分が選び取るべき道はこれだ、と直感的に思った。

(見ていてくれ、藤宮。俺たちは必ず、明るい未来を実現してみせる)

 争いのない平和な世界を希求し、澤田は胸の内でそう誓った。


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