04
普段の穏やかな空気が宿屋に戻ったところで、冒険者の少女たちが、アランとロナへ話し始めた。
彼女たちは、簡単な依頼を受けにこの町のギルドへ向かったが、そこで宝石のように綺麗な瞳を持つ猫が居たと、口にしたらしい。
単なる猫の話なので誰も気に留めず笑っていたが、それを聞いていた一部の冒険者たち――宿屋へやって来た彼らだ――は、たまたま希少魔獣の情報に長け、もしやと考えた。
そして正午近くに町のギルドへ戻ると、彼らがその猫を見に行ったとギルド職員から聞かされ、嫌な予感がし大慌てで宿屋へ走ってきたのだそうだ。
「ロナちゃんがすごく泣いてて……大変な事になっちゃうところだった」
「本当に、ごめんなさい」
二人は、深々と頭を下げた。
しかし、私としては、彼女たちを咎める気分にはならない。むしろ、今まで知られていなかった事の方が、逆に奇跡だと思う。
光の色、量、角度――僅かな変化で多様な色に変化する、見るものを魅了して止まない不思議な瞳を持つ、大型の猫の魔獣。
人里離れた奥地でのみ暮らす私たちは、希少価値が高いとされ、“生きた宝玉”という名で呼ばれてきた。
私自身はそんな風に思った事は一度もないが、昔は観賞用にされる屈辱の日々を送った。おまけに、危うく両目を狙われた事もある。
嫌な記憶しかないのは事実だが、今はもう、それほど気にしていない。
「私は、別に平気だよ。リリーはリリーで、大切な家族なのは変わらないもん」
「そうだな、リリーはうちの看板猫で……大切な家族の一員だ」
ロナとアランに撫でられ、私はニャアンと喉を鳴らす。
「だから、良いの。お姉ちゃんたちも、謝らないで。急いで来てくれて、ありがとう」
「そう、もう気にしてないから。また、うちに泊まっていってくれよ」
そうそう、二人は、良い子たちだもの。貴女たちなら、いつでも歓迎するわ。
私は二人の足下へ近付き、身体を擦り付ける。頭を下げていた二人は、ようやく顔を上げ、そして安堵したように微笑んだ。
◆◇◆
――太陽が沈み、訪れた夜。
冒険者の少女たちが出発し、泊まり客が居なくなった宿屋は静けさに包まれていた。
唯一、明かりが灯っているのは厨房で、アランが黙々と翌日の仕込み作業を行っている。
昼間は少し波乱があったけど、いつも通りね。感心、感心。
「ニャアン」
私が声を掛けると、アランは肩越しに振り返り、小さく笑った。しかし、心なしかその横顔が曇っているように見え、私は首を傾げた。
あの女の子たちが獲ってきてくれた鶏肉、気に入らなかったのかしら。けっこう大きくて立派だと思うのだけど。
やがて、アランは作業を終え、厨房から出てきた。布巾で手を拭い、カウンターの椅子に腰掛け、一息をつく。
私もそれに合わせて移動し、彼の側へ近付いた。
「……“生きた宝玉”か。リリーは、そんな風に呼ばれる珍しい魔獣だったんだな」
アランの瞳は、静かに凪いでいた。
日中は私の事を「希少な魔獣なんかじゃない」と言ったが、あの場を上手く誤魔化してくれただけで、実際はもう理解しているのだろう。
驚かせてしまったかしら。私は少しだけ不安になりながら、アランを見つめる。
「……本当は、ずっと前から気付いていたんだ。リリーが、特別な魔獣だって事はさ」
「ニャアン……」
「そうだよな、だって、俺たちの言葉を全部分かってるし、町中の猫たちと雰囲気が全然違う。愛玩魔獣なんかとは別格の存在だって、最初から気付いてたんだ。ロナも、たぶんあれで分かってる」
私は驚き、目を丸くする。
私の看病をしていた時、アランとロナは私の事を調べようとしていた。本屋に何度も出向き、またご近所にも聞き込みをしていた。結局分からず、種族の事は有耶無耶にされていたが……私が思う以上に、二人は大人だったようだ。
「でも、俺たちは、だからってリリーを変な風に扱いたくないんだ。ただ一緒に、ご飯食べて、お客さん迎えて、楽しく過ごしていたいんだ。この宿屋で」
――でも。
アランは、弱々しく、声音を濁した。
「……リリーは、うちでも良いか?」
「ニャ?」
「うちは……そんなに良い暮らしをさせてやれない。単なる町の宿屋だから、高級品とか、食べさせてやれないだろうし」
恥じ入るように告げたアランに、私は心底――呆れ果てた。
胡乱げに目を細めながら、前足を片方持ち上げると、俯きがちなアランの額へ叩き付ける。バシリと、予想以上に良い音が響いた。
「いってえ?! え、リリー……?」
まったく、アランは馬鹿なんじゃないの。
そんなの目当てだったら、今頃、とっくの昔に離れてるわよ。
そもそも私は、二人のためではあるけど、自分自身で決めて此処に居るのだ。
高級なご飯などなくても、二人と一緒に食べるご飯の方が美味しい。宝物のように篭に閉じ込められ見せ物にされるより、お日様の下で微睡み、自由に町を歩き、賑やかな宿屋の看板猫をして過ごす方が楽しい。
貧乏だとか裕福だとか、そんな話はしていない。私は私の意思で、とっくに心を決めているのだ。
まったく、変な勘違いは止めて欲しい。
私はもう一発、お馬鹿なアランの額を叩いた。痛がる様子をひとしきり笑ってやった後、アランの肩に飛び乗り、その首に巻き付く。
「うぐぅッ! お、おも……ッ!」
アランの上体が一瞬ふらついたが、彼は私を落とす事なく、姿勢を持ち直した。
二十歳なんてまだまだ若いが、もう大人の男性の仲間入りをしている。力仕事も多いので、見た目によらず筋力はしっかり備わっているのだから当然だ。
もっとも、レディに対して重いだなんて平気で言うから、私としてはまだまだ彼はお子様の域である。
「……これからも、一緒に居てくれるのか?」
「ンナァ~」
喉を鳴らし、アランの硬い頬へ顔を擦り付ける。
彼はぐっと唇を噛むと、一瞬だけ、顔を背けた。目元を指で擦った後、彼は私の身体を両手で掴み、膝の上へ下ろした。
「……そうか、ありがとう。ありがとうな、リリー」
礼には及ばないわ。それが、貴方たちの言う“家族”なんでしょう?
しっかりやんなさい、という激励も込め、私はゆっくりと彼の笑顔に瞬きを返した。
◆◇◆
「――でもな、昨日はあれで済んだけど、リリーが珍しい魔獣かもしれないって事は、なんであれ周りに知られたわけだ」
北側の町の人々は大丈夫だと思うが、あの冒険者たちのように悪戯にちょっかいを掛けて来る輩はこれから現れるかもしれない。
アランは神妙な面持ちを浮かべ呟いた。鍋のスープを掻き混ぜているので、シリアス感は皆無だが。
「え? なあに、お兄ちゃん」
「いやさ、一晩経って、やっぱり対策は必要だろうなと思って」
「対策……?」
ロナの隣で、私も首を傾げる。
「具体的に言うと、リリーに嫌な事をした奴を撃退するような道具とかさ」
「あ、お店に置いてる、魔法道具のこと? それだったら、可愛いブローチがついた首飾りとか、綺麗なスカーフとかがいいなあ。普通の首輪なんて、ダサいやつはイヤ!」
「分かる。今度、一緒に見てこよう。あそこの店の親父さんはリリーのファンだから、しこたま値切ってやろうぜ」
頷き合う二人の相談が、だんだんと白熱してゆく。
貴方たちね、私の事が好きなのは分かったけど、そのお金を宿屋に回しなさいな!
それにね、私はこれでも野良育ちの魔獣よ。貴族相手に逃げ仰せたんだから、大抵の事は自分で撃退出来るわよ。
まったくもう、と呆れて溜め息をこぼすと――カランとベルが鳴り、扉が開いた。
ゆっくりと踏み入れ、控えめに中を窺うお客様に、二人は明るい笑顔を向ける。
「いらっしゃいませ、ようこそ宿屋“陽だまり亭”へ」
「お泊りですか? こちらに記入をお願いします!」
さて、私も看板猫として働きましょうか。
フロントの上に跳躍して飛び乗ると、私はとびきり可愛い声でお客様を出迎えてあげた。
Fin.
さくっと読めるのを目指した、看板猫の物語でした。
楽しんで頂けたら幸いです。
リリーの姿のモチーフは、メインクーンやサイベリアン。
でっかくてもふもふ長毛な感じでお願いします。
猫の中でも、とくにでっかい猫に憧れます。作者はアレルギー持ちなので、なおさら憧れが止まらない。
(抜け毛とか埃とか駄目なもので……)
あと【ゆっくり瞬きをする=大好き】という猫の生態も、可愛いなあと思います。
そんな感じに、猫に憧れてる作者の願望も詰まった読み切りでした。
お付き合い下さりまして、ありがとうございます。