第3話 暴虐の牙と、包摂《インクルージョン》の理
装甲猪の肉で満たされた宴の翌朝、私たちの集落はかつてない活気に満ちていた。
若きゴブリンたちは鋭牙を中心に、崖の横穴を拡張し、風雨を凌ぐための本格的な家屋造りに取り掛かっていた。長老となった灰智が、過去の記憶を頼りに丈夫な木材の切り出し方を指導している。
全員に「役割」があり、明日の「食」が保証されているという安心感。それこそが、社会の生産性を劇的に向上させる最も強力なバフ魔法であると、私は前世の知識から理解していた。
しかし、豊かさの匂いは、時に招かれざる客を引き寄せる。
――ズシン、ズシン、ズシンッ! 地鳴りのような足音が、森の奥から近づいてきた。
木々が薙ぎ倒され、土煙を上げて広場に現れたのは、ゴブリンの倍以上の体躯を持つ魔物の群れだった。
筋骨隆々の体に、豚のような鼻。手には無骨な丸太や錆びた鉄斧を握っている。オーク族だ。数は五体。だが、その質量と放つ威圧感は、この集落の全戦力を以てしても余りある脅威だった。
「ひいぃっ……! 豚頭鬼だ!」
「なんでこんな森の浅い場所に……!」
ゴブリンたちがパニックに陥り、散り散りに逃げ惑う。
オークの先頭に立つ、一際巨大な個体が、血走った目で集落の中央に積まれた装甲猪の残り肉をねめつけた。
「……肉の匂いがした。寄越せ。逆らう奴は、踏み潰す」
野太く、知性の欠片も感じられない声。
純粋な暴力による搾取。それは、私がいま構築しようとしている「誰もが安心して暮らせる社会」を根本から破壊する、絶対的な「悪」だった。
「皆、逃げろ! あいつらは、俺たちがどうにか足止めする!」
鋭牙が槍を構え、若者数人と共にオークたちに立ち向かった。
灰智の教えを守り、正面からはぶつからず、石を投げ、背後から足を狙う『連携』の動きを見せる。だが、相手のスペックが違いすぎた。
「鬱陶しい小虫がッ!」
巨大なオークが丸太を無造作に振り回す。
ただそれだけで生じた突風と衝撃波が、鋭牙たちの陣形を容易く吹き飛ばした。鋭牙が地面を転がり、苦悶の声を上げる。
彼らが築き上げようとした希望が、理不尽な暴力によってへし折られようとしていた。
私は、広場の中央へとゆっくりと滑り出た。
『ユニークスキル《理を編む者》、対象を解析します』
視界にオークたちの情報が浮かび上がる。
極度の飢餓状態、粗悪な装備、そして体に刻まれた無数の古い傷。
なるほど。彼らもまた、強大な魔物に追われるか、あるいは群れから弾き出され、流浪の末にこの森へ流れ着いた「難民」に過ぎないのだ。
だが、だからといって彼らの暴力を許容する理由にはならない。
「そこまでだ、飢えた簒奪者たちよ。これ以上、私の領域を荒らすことは許さない」
私の念話が響き渡ると、巨大なオークが鼻を鳴らした。
「……スライム? 言葉を喋るのか。気味が悪い、お前も潰して食ってやる!」
オークが両手で握った巨大な鉄斧を、私に向かって全力で振り下ろした。
鋭牙が「駄目だ!」と絶叫する。だが、私はその場から一歩も動かなかった。
「……私の前世では、他者を傷つける行為には『法』による厳格な制限が伴った。君たちの振る舞いは、社会秩序への重大な挑戦だ」
私は自らの質量を凝縮させ、頭上へ向かって細く鋭い触手を一本だけ伸ばした。
触手の先端と、振り下ろされた巨大な鉄斧が激突する。
――ガァンッ!! 爆発のような金属音が鳴り響き、オークの巨体がビクンと跳ね上がった。
鉄斧は私の触手によって完全に止められ、あろうことか、刃の部分から細かい亀裂が走り、次の瞬間、粉々に砕け散ったのだ。
「なっ……!? 馬鹿な、俺の斧が……スライムごときに……ッ!」
「力がすべてだというのなら、君たちのルールで教えてあげよう。君たちは、私より『弱い』」
私は触手を鞭のようにしならせ、オークの腹部を薙ぎ払った。
手加減はした。だが、私の魔力が乗った一撃は、オークの巨体を軽々と宙に浮かせ、数十メートル後方の岩壁に激突させた。
残りの四体が、恐慌状態に陥りながらも、咆哮を上げて私に飛びかかってくる。
「対象の敵対行動を確認。制圧術式『身体拘束の原則』を行使する」
私は体の一部を分裂させ、四つの水球として彼らの足元へ射出した。
水球はオークたちに触れた瞬間、粘度の高い強固な枷へと変化し、彼らの手足を地面に完全に縫い付けた。どれだけ怪力で暴れようと、魔法的法則で固定された枷はピクリとも動かない。
戦闘は、ものの数秒で決着した。
「……くそっ、殺せ! 俺たちは負けたんだ、食い物にしてしまえ!」
岩壁から崩れ落ちたリーダーのオークが、血を吐きながら叫んだ。魔物の掟における敗北の作法だ。
鋭牙たちが、信じられないものを見る目で私を見つめている。
「……湊さま。こいつら、どうしますか。生かしておけば、また必ず俺たちを襲います」
排除の論理。それは、この世界では最も安全で合理的な選択だ。だが、私は元社会福祉士だ。
社会から逸脱した者をただ「排除」するだけでは、真の平和は訪れない。社会問題の解決において最も高度で、かつ強力な手段。それは『社会的包摂』である。
「殺しはしない。そして、追放もしない」
私の言葉に、ゴブリンもオークも唖然とした顔を見せた。
「君たちは、圧倒的な膂力を持っている。それは、家を建て、畑を開墾し、防壁を築くための素晴らしい『財産』だ。それをここで捨ててしまうのは、あまりに勿体ない」
私はオークのリーダーに近づき、静かに告げた。
「君たちを、この集落の構成員として迎え入れる。力仕事という『労働』を提供する代わりに、私は君たちに温かい寝床と、腹一杯の食事という『保障』を与えよう」
「……俺たちを、奴隷にするってことか?」
「違う。対等な『契約』だ。君たちが集落のルールを守り、役割を果たす限り、君たちの生存権は私が絶対に守り抜く」
オークのリーダーは、私の透き通った体を見つめた。
そこには、自分たちを力で捻じ伏せた恐怖以上の、絶対的な「理」と「底知れぬ器」への畏怖が芽生えていた。
「……腹一杯、飯が食えるのか。毎日、餓えに怯えずに、眠れるのか……」
「ああ。私が保証する」
オークはゆっくりと頭を垂れた。
「……分かった。俺たちの命と力、あんたに預ける」
他のオークたちも、それに続くように戦意を収め、地面に平伏した。
私は彼らの枷を解き、再び魔力を放った。
「今日から、君たちの種族名に『剛』の字を与えよう。君たちはただのオークではない。集落の基盤を築く、剛腕の誇り高き労働者だ。さあ、まずは腹ごしらえをしろ。明日は忙しくなるぞ」
剛鬼として新たな名と役割を得た彼らが、涙を流しながら装甲猪の肉に食らいつく姿を、ゴブリンたちは静かに見守っていた。かつての敵が、システムに組み込まれ、共に社会を創る仲間となる。
異質な者同士が共生する『包摂の理』は、こうしてこの小さな集落に確かな根を下ろしたのだった。




