第五十一話 めんどくさい奴のめんどくさい従者
嫌な声を聞いたと、思わず心中でごちた。
耳元で飛び回る蚊の音よりも耳障りな声だ。俺と同様の感性を持つらしい夏目も分かりやすく顔を顰め、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「先輩」
抑揚のない平坦な声に夏目が何を言いたいかを直ぐに理解した。隠しきれない殺意を感じ取ったのもあるか。
夏目からすれば九条院は敵だ。怪人となった今、かつての味方とはいえ九条院を敵として倒さなければならない。
まぁ、そんな綺麗事ではないな。夏目の場合はただの私情だ。俺に対して好意を持つ九条院が気に食わない。恋人だの、婚約者だのと勝手に名乗っているのも不快らしい。
可能ならば殺したい。そんなところだろう。
一応、俺もヒーローとして九条院と出くわしたのなら殺してもいいと許可を出している。現場で死んだのなら大きな騒ぎにはならない。ヒーローとしての九条院が怪人に敗れて死んだ。それで終わりだ。
だが、ヒーローではなく九条院───個人として俺の元に訪れている場合は別だ。一般人ならともかく、九条院レベルの人間となるとスケジュールはある程度管理されている。
どこに行くかを九条院以外の人間も把握しているだろう。そんな状態で九条院を殺せばどうなるか⋯⋯分からないほどバカではない。
方法がない訳ではないが⋯⋯正直にいって割に合わない。時間もかかる上に金もいる。労力の無駄だろう。
「ダメ、ですか?」
返事を返さなかったせいか夏目が不安そうに尋ねてきた。主語が抜けてはいるが、夏目の意図を俺が理解しているのであれば問題はない。
さて、どうするべきか。九条院をこの場で殺せば間違いなく犯人として指名手配される。そうなれば今よりもずっと不便な生活を送る羽目になる。
世界の敵としての自負はあるが、今の生活を捨てるのは億劫だ。それほど今の日本は俺たちの怪人騒ぎがあるとはいえ過ごしやすい環境。
可能であればこの世界を支配した後も今の環境が続いている事を願うが⋯⋯ボスの思想を考えれば不安しかないな。一度、世界征服した後についてボスと話す必要があるだろう。だが、それは後の話だ。今はどうでもいい。
殺すか殺さないか。どちらもメリットとデメリットがある。
殺せば今のように鬱陶しく付き纏う九条院を排除出来る上に、戦闘の場にいると面倒なシャイングリーンが消える。日本だけに留めた話ではあるが、悪の組織側の優位に進める事が出来る。
殺した場合のデメリットは犯人として特定され、指名手配される事。回避方法はあるが、時間と金⋯⋯そして何よりもマッドサイエンティストに貸しを作る事になる。
日本最大の財閥───九条院家のご令嬢の死の隠蔽となると素人である俺だけでは事を進めるのは不可能だ。だが、大天才を自称するマッドサイエンティストなら可能。
「⋯⋯⋯⋯」
なし、だな。
九条院を殺せば面倒な付き纏いはなくなるだろうが、マッドサイエンティストに貸しを作るのは面白くない。
「殺すな」
「⋯⋯はい」
「不満なのは分かるが、事を大きくしたくない。それに九条院に住所を知られているこの部屋は今日をもって破棄する。今のようにあの女が訪ねて来る事はない」
「けど、先輩に対して連絡する手段を持ってるよな?また付き纏ってくるだろ、それで」
思わず閉口する。
連絡先を交換するような真似はしていないが、アプリのダイレクトメッセージを使って九条院とやり取りをして俺は直接会っている。そのアカウントを消せば問題ない話ではあるが⋯⋯前回と同じ事をされないとは限らない。
この部屋を捨て、住所を変えたとしても夏目が言うように九条院に付き纏われる可能性が高い。
殺しても面倒。殺さなくても面倒。それが九条院という女だと、改めて理解した瞬間だ。
「面倒だな」
「殺した方がいいと思うぞ先輩!一思いにやろう!後の事はオレ様も一緒に考えるからさ」
夏目は間違いなくダメな思考をしている。
九条院を鬱陶しく思っても、夏目の提案に乗るつもりはない。後の事を考えない行動は組織にとってどれだけ有害か、分からないほど愚かではないからな。
「九条院は殺さない」
「先輩!」
「以前も言った筈だ。どうしても殺したいならヒーローとしての九条院を倒せ。今もあの女が生きているのはお前が倒せていないからだろう?」
「っ⋯⋯!」
ヒーローとして現れた九条院を殺せていないのは俺も一緒だ。夏目の事を言えた義理ではないが⋯⋯俺の場合は戦闘を禁止されている為か、出逢えば直ぐに逃げられる。それも瞬間移動装置を使った即時撤退。
逃げる隙すら与えず即死させるくらいしか殺す方法はない。つくづく面倒な相手だ。
「もう一度言う。殺したいならヒーローとしてあの女を殺せ。お前なら出来る筈だ」
「必ずオレ様が殺してみせます」
「分かった。なら、その殺意は今は留めて先にアジトに戻っておけ。後始末をしてから俺も向かう」
「⋯⋯はい」
隠しきれない殺意を身に纏いながら、玄関の方角を鋭く睨んだ夏目が瞬間移動装置を使ってその場から消える。
何もない部屋に残された俺はマッドサイエンティストから渡された道具を各部屋に1つずつ設置していく。細かい原理は不明だが、遠隔で部屋を破壊する為の装置だ。
マッドサイエンティスト曰く爆発物ではないらしい。そんな派手な破壊工作をすればヒーローたちにバレるなんて言ってはいたが⋯⋯。
「今更だな」
太陽に俺が悪の組織の一員───仮面の怪人である事がバレた以上、ヒーローがこの部屋に駆けつけるのは時間の問題でしかない。
俺が住んでいた場所も、顔も⋯⋯全ての身元が明るみになるのはそう遠くない筈だ。
「あるいは⋯⋯いや」
太陽が誰にも話さない⋯⋯などという考えは流石に楽観的すぎるな。それにあいつが話さなくても、太陽以上に口の軽い剣があいつの傍にある。
───邪魔だな、本当に。
「⋯⋯⋯⋯」
まぁいい。敵として俺の前に立ちはだかるのであれば、太陽と一緒に破壊すればいい。それだけの話だ。
「颯斗!!聞こえていないのか?金持ちの私が来た!デートに行こう!」
そんな耳障りな九条院の声を聞きながら瞬間移動装置を使用して俺もその場を後にした。
◇
「部屋から人の気配が消えましたね」
「消えた?婚約者である私が来たというのに⋯⋯出迎えもせずに?」
先程まで感じていた人の気配が一瞬で消えました。その事実を口にすると、お嬢様が狼狽えているのが横目で確認出来ました。
こんなお嬢様を見るのは初めてです。
お労しい⋯⋯。
「くっ───」
ふつふつと怒りが込み上げてくるのをボクにも分かりました。お嬢様を傷つけた⋯⋯その事実はお嬢様の従者であるボクには許せるものではない。
「お嬢様⋯⋯やはりあの男は婚約者に相応しくありません!」
お嬢様の命令で監視しておりましたが、あの男はお嬢様以外の女を部屋に連れ込み生活していた! 汚らわしい獣のような男なのです!
「お嬢様!」
ボクはお嬢様の事を思って監視対象の報告を全て上げていた。なのに⋯⋯どうしてまだ、あんな男の元へ足を運んだのですか?
ボクの報告を聞いて尚、『面白い』などと笑って済ます事ができるのですか?ボクには分からない⋯⋯なんで、どうして?
お嬢様の好意を無下にするあんなカス野郎を、どうして愛する事ができるのですか?
「ふふ、やはり面白い男だな⋯⋯颯斗」
「お嬢様!!!」
人の気配のなくなった扉を見て、高揚した頬を抑えながら呟くお嬢様。その姿は恋する乙女以外の何者ではありません。
なんて、なんて、なんて!!
───なんて!美しいんだ!!
ボクはこんなに美しいお嬢様を見た事がない!恋するだけで世界一美しいお嬢様は新たな一面を魅せ、より美しく輝く。
───この世の至宝。
それは正しくお嬢様のをさす言葉。
「っ⋯⋯」
だからこそ、許せない。
世界の至宝であるお嬢様に好意を寄せられて尚、無下にするあの男が!
ゴミカスクソ虫野郎の分際で!!
「お嬢様、お考え直しください! あの男は獣でs!」
「セバス⋯⋯」
「っ───」
───お嬢様から向けられた視線に、心臓がキュッとなる感覚を覚えました。
冷たい目。
お嬢様のこんな目は初めて見る⋯⋯。
そこまで愛しているのですか⋯⋯お嬢様!
「颯斗以外に金持ちの私に相応しい男はいない」
「⋯⋯⋯⋯」
言葉が出ません。
あの男を愛してもお嬢様が幸せになる未来が訪れるとは思えない。なのに、どうして分かってくれないのですか⋯⋯お嬢様。
確かに、あの獣はお嬢様の隣に立つに相応しい財力を持っているでしょう。
この国でも極小数の者しか持ちえない『瞬間移動装置』を気安く使うなど並大抵の財力では行えない。
ですが財力だけです!九条院財閥の御令嬢───世界一の美女である九条院 優馬の伴侶には相応しくない!!!!
「お嬢様⋯⋯」
「分かってくれ、セバス。私は颯斗を愛している。そして颯斗も金持ちの私を愛している。相思相愛なのだ」
「お嬢様の想いは⋯⋯分かりました」
「そうか、分かってくれたか」
───申し訳ございません、お嬢様。
ボクが行おうとしている事は従者として決して許さない行い。
ですが、お嬢様を想い⋯⋯心を鬼にして実行する所存です。
全てはお嬢様の為。
あの獣と一緒になってお嬢様は幸せにはなれない。
だから、ボクはお嬢様の為にあの獣を消す。
その為に悪魔に魂を売り渡しても構わない。
都合がいい事にこの国にはそれをなし得る悪が存在する。どこに行けば組織の一員となれるか⋯⋯まずはそこからだ。大丈夫、ボクなら見つけ出せる。
任せてくださいお嬢様!お嬢様の幸せはボクが護りますから!
「⋯⋯さて、颯斗がいないこの場に用はない。帰るかセバス」
「後藤です⋯⋯お嬢様」
後藤 千歌です。いい加減覚えてくださいお嬢様。




