妖忌妃~Act.2 智魅という女性/3
「大妖怪に会って、河童の移動湖の場所を聞くんです」
「――――は?」
「雨堂河童っていう河童らしいんですが、場所が分からなくて。ですから、妖怪の中の妖怪と呼ばれている大妖怪ならば、どこにいるのかが分かるんじゃないかと思いまして」
トモミは脱力のあまりその場に座り込んだ。あまりのばかばかしさに目を丸くしている。こんなバカなことを考えるのは人間だけだ。一瞬でもこんな男に妖を感じた自分が恥ずかしい、とトモミは顔を赤くして押し黙ってしまう。
「あの、トモミさん?」
しばらく沈黙したままだったが、不意に、トモミは思い出して立ち上がる。そして、山の奥のほうを指差した。
「雨堂河童の移動湖。今年はこの山の裏手よ。―――いけない、もうすぐ移動時期だわ! その年の移動湖の近隣に生息する妖以外、正確な場所なんて分からないわ。これを逃したら、また日本中を捜し歩くことになるわよ。行きなさい!」
道なりに進めば移動湖があるから。トモミはその道を指で示す。御伽はありがとうございます、とお礼を言い、その道を走っていった。
「―――まったく、驚かせてくれるわね」
御伽が去った後、不意にトモミが呟く。そして、山の頂上にある祠を見つめた。
「あの時代に、あのような男がいれば、あんなことにはならなかったのでしょうか・・・?」
今から四百年前。人と妖が共存を試みた村があった。その村は、偉大なる妖である妖術王が治め、妖には不殺を、人には妖を恐れないことを心がけさせた。しかし、それは所詮仮初の共存だった。妖は人を襲うことで自らの存在を高め、人は妖を恐れ、妖を撃つ術を模索することで知恵と力を得る。そんな本来あるべき人と妖の姿、当たり前のことが出来なくなったからだ。
そんなある日、欲望に負けた妖が人を殺めた。しかし、妖術王はその妖を咎めることはしなかった。だが、それにより人と妖の間の亀裂は確実なものとなった。人は妖にいつか殺されるのではないかと怯えて暮らし、妖は人を殺しても咎められないという前例を得たのだ。
村ではことあるごとに人と妖が衝突した。そのたびに妖術王は争いを止め、共に生きるようにと説いた。だが、この村には、最初から共に生きようとするものなどいなかった。妖は人を下に見、人は妖を信用しない。そんな環境で、もとより共存などできはしないのである。
そして、妖術王は裏切りにあった。信じていた仲間の妖が用意した刺客によって殺されたのである。だが、妖術王は不死の存在。殺しても蘇り、何事もなかったかのように振舞った。だが、そのたびに刺客が現れて、妖術王を殺し、再び蘇った。妖術王はそんな状況を見兼ね、自らを祠の中に閉じ込め、裏切った妖と戦うことにする。しかし、奇しくも最後に祠を襲撃したものたちは、人と妖の連合軍だった。妖によって傷ついた妖術王を、人間たちが用意した要石によって封印する。妖術王が望んだ人と人間の共存の形が、まさか最後に自分を殺すために完成するとは、あまりにも皮肉な最後である。
そして、妖術王はその後、生きることも死ぬことも許されず、祠にてひっそりと生き続けている。あらゆる生命を否定し、ただ一人で山の中に―――そうなるはずだった。だが、今は違う。あの男は、生きるものすべての存在を否定するこの山の中に人の身でありながら入ってきたのだ。もしかすると、とトモミは思う。だが、そんなことを思った自分をあざ笑う。
「―――人はもう、妖を恐れない。ただ、時代が変わっただけ、なのかもしれませんね。ええ、きっと・・・」
夜を生きる術を得て、人は妖を忘れた。自らの知恵と力で自分たちの道を切り開いた人間は、もう、そんなあいまいで不確定な存在に見向きもしないし、恐れもしない。変わり行く時代の流れの中で、自分たちも変わるべきなのかもしれないと、トモミは思う。
「なら。―――そうであるのならば」
少し震える手を押さえ、彼女は笑う。そして、その瞳の見つめる先にあるものをじっと睨みつけた。