妖忌妃~Act.2 智魅という女性/1
山道を下り村に戻ると、もう日も暮れ始め、空はオレンジ色に染まっていた。御伽は事前に連絡しておいた知り合いの家に向かう。その知り合いもまた、この村の逸話に魅入られて、あの山を探索するものの一人であった―――あった、というからには、その人間はもうすでにこの世界にはいないということである。その人は、数日前にあの山道で亡くなった。役場の職員が言っていた週刊誌の記者である。
彼の家に着くと、彼から預かっていた家の鍵でドアを開ける。すると、家の隣に住んでいる人であろう人の声がして、御伽は向き直った。
「あの、その家には、もう誰も住んでいませんよ」
三十代後半の女性だった。エプロンをつけているところを見ると、どうやら、怪しい人影を見つけて様子を見に来たといったところだろう。通報されては困ると、御伽は怪しそうなそぶりを見せず、堂々と返した。
「ええ。知っています。私は、彼の友人だったものです」
鍵を預かっていたので、ここに滞在するついでに返しに来たんですよ、と女性に鍵を見せる。すると、女性はほっとしたように微笑む。
「そうでしたか。てっきり、怪しい人かと思って」
「まあ、怪しいものではあるんですけどね。―――妖怪コラムニストなんて変な職業ですから」
そう言うと、女性はとたんに態度を変える。
「あら、もしかして、あの雑誌とかテレビで有名な? どこかで見たことある顔だと思ったら」
「ええ。まあ、それなりに有名―――なのでしょうかね?」
御伽がそう言うと、やっぱり、と女性はうれしそうに話し始める。
「やっぱりこの村には『妖忌妃』さまを取材しに来たのかしら?」
「ようきひ? 楊貴妃って、三大美女の?」
女性は首を振る。
「いいえ。あの山の大妖怪ですよ。この辺じゃ妖忌妃って呼ばれてるんです。私も、父から聴いた話なんですけどね」
「ようきひ」
「妖にも忌み嫌われた姫―――って言う意味らしいわね。まあ、私の知ってることなんてこれくらいだけど、主人なら、もう少し何か知ってるんじゃないかしら。あの人、この村の歴史を研究してるから」
家にいますから、話を聴いてみたらどうですか? 女性はそう言って、家のほうを指差した。御伽は興味を引かれることには貪欲だ。迷わずお邪魔することにする。
家の中に入ると、女性はすぐにリビングにいる主人を呼んできた。四十代くらいの妙に痩せた男だ。彼は書斎に来てくれと、御伽を通す。
「いや、まさか、妖忌妃を取材に来る人がまた現れるとは思いませんでした。隣の男が死んでからは、しばらくそんな人も来ていませんでしたから」
書斎のドアを開けて男は呟く。
「さ、どうぞ、入ってください」
その部屋の中には大量の書物と、資料があった。御伽は部屋に入るなり、その資料の中から、ひとつ興味深いものを見つけた。
「さすが、御伽さん。お目が高いですね」
それは、妖忌妃に関する巻物ですよ、と男が言う。見てもいいでしょうかと、御伽が言うと、男は巻物を大切そうに紐解き、開けた。
巻物の中は、墨で描かれた絵が描かれている。大量の妖怪と人間の争う絵の中で、妖忌妃と呼ばれる妖は一人、寂しそうに描かれていた。
「妖と人間の対立する場面を描いた絵です。そしてこれが妖忌妃。当時は妖術王と呼ばれていたそうです。妖術王は人間と妖の共存を夢見た妖怪です。しかし、彼女は強大な力を持ちながら、妖怪をまとめる事は出来ず、裏切りに遭い、封印されたのです」
男は二枚目の巻物を御伽に見せた。今度は、あの祠の中の出来事なのだろう。人と妖が協力して妖忌妃を封印している絵に見える。
「これが、あの山の山頂で起きたことを絵にしたものだといわれています。人の手によって要石の封印を施され、妖術王は封印されました。そして、二度と蘇ることのないよう、あの山は『妖忌妃』の眠る山とされ、封印されたのです」
公民館にある図書館には、これらのことを纏めた本があります。明日にでも行って、読んで来たらどうですか? 男の言葉に、御伽はそうですね、と返す。
「しかし、どうしてあなたはこれらの資料を?」
御伽が訊ねると、男は言う。
「ええ。実はこの資料、私の先祖が書いたものなんですよ。私の家は代々、あの山の封印を管理する家系でしてね。山道や祠の鎖とか、そういったものが壊れる前に取り替える仕事をしているんです」
その言葉に、御伽は疑問を浮かべた。なら、あの管理人―――トモミという女性はこの家の人間なのだろうか。男に問うと、男はいいえ、とはっきり答えた。
「トモミさん―――ですか。知りませんねぇ・・・。大体、あの山自体は国の管理下にあるものですから、持ち主なんていないと思うのですが」
「そう、ですか・・・」
「御伽さん、もしかして、それは妖ではないですか? 妖術王の封印を壊して、封印を解こうとしている悪い妖」
ま、妖なんているわけないですけどね、と男は笑った。しかし、御伽はあいまいに返事をする。
「妖怪、ですか? ―――かもしれませんね」