#0-3 起点
【前回までのあらすじ】
姉である牙隈岼果が「メディア・ハザード」を維持する要・生体と死体が同時点に存在している「編綴コード」の正体だと知った未良。ノアから状況を打開するには岼果の死を確定させる必要があると告げられ、その判断を委ねられた未良は、生きている岼果を消すことを決意。“情報屋”サークルの高千穂真琴とともにかつての仲間・越智乙丸の居場所を探り当てる。
しかし乙丸の手がかりを元にノアの嘘や「編綴コード」の謎を紐解く鍵・浅子理論に辿り着いた未良に突きつけられたのは、自らの決意が偽物であるという事実だった。
その後病室で生体の岼果と言葉を交わしていた未良だったが、感情が昂ったあまり、自分が彼女を消そうとしていることを明かしてしまう。
「……消える?」
岼果は首を傾げる。
「いや、今のはその、違うの!」
未良は咄嗟に手で口を押さえるが、すぐに諦めて両腕の力を抜く。
「……ごめん、やっぱり言わないといけないみたい。多分私は、最後まで逃げようとしてたんだ。お姉ちゃんと向き合うってことから」
未良は小さい声で続ける。
「お姉ちゃんが一命を取り留めたこの時間があるってことは、文字通りの奇跡だった。それが誰かの企みなのか、無作為で選ばれたのかは分からないけど……私がお姉ちゃんが生きているって信じるからこそ、生きたお姉ちゃんがこうして私と目を合わせることができる。逆に言えば、それだけが、お姉ちゃんの生きている根拠。
今世界には、生きたお姉ちゃんと死んだお姉ちゃんが同時に存在してる。それで、その異常は『メディア・ハザード』が続いてる根本的な原因になってるんだよ」
岼果は黙って未良の話に耳を傾けている。その顔からは一切の疑念の色も感じられない。
「私……今みたいな『メディア・ハザード』の世界は、間違ってると思う。ノアくんに付いて行こうと思えたのだって、そもそもは自分が彼の考えに共感できたからに決まってる。
どんな紛い物でも、名前が強い人ばかりに信用が集まって、影響力がない人が虐げられる――お姉ちゃんが受けたのと同じような屈辱が、お姉ちゃんを利用して蔓延っていていいはずがないよ。
……だから、私はお姉ちゃんが生きてるこの時間を否定しなきゃいけない。今日はその決意をしてここに来たの」
間違ってはいない。しかし、未良はこの状況に対しての矛盾を自覚していた。
真琴には「覚悟ができている」と語ったが、だとすれば岼果は既にこの場から消えているはずなのではないか。現在における岼果の存在を未良が本気で否定出来ているのであれば、岼果が存在できる時間というものはそもそも成立しなくなる。状況は死として確定しているべきだ。
「私、これでも自分なりに生きていくってことを掴めた気がするんだよ?お姉ちゃんの為でも、ノアくんの為でもない。勿論そう考えることをやめた訳じゃないけど、『私がそうしたいから』って根っこのところを、頭で区別できるようになってきた。
だから、もうお姉ちゃんが心配していた未良じゃない」
自身の変化については、未良の自負するところだ。ディルク・デ・ヘンゲルの元へ駆け込んだ結果、彼を頼っても無駄だということを理解したとき――悲しみや憎しみ以上に、その体は喪失感が支配し、縛り付けた。姉よりも優先される動機がなかったから。
しかし、今の未良ならば違う。ノアによって自然と導かれていった自らの指針だったが、そういった決断を1人でも下すことが出来るだろう。
「――でもさ、やっぱり辛いんだよな。……お姉ちゃんが好きだから」
未良は俯いた。
「依存してなくたって、たった1人のお姉ちゃんを自分の手で手放したくなんかない、本当にそれだけ……!
私たち家族は、もうパパも早くに亡くしてるし……それだけのことを、本当に願っちゃいけないものなのかな……!?」
「未良……」
「お願いお姉ちゃん、私を許さないで。
今のこと、私はお姉ちゃんに許されたくて話した訳じゃないの。ただの罪悪感――生きている人を消してしまうっていうのに、そのことすら伝えずに黙っておくなんて出来なかった。ごめんね、ずっと独りよがりで……」
「駄目」
しかし、岼果は笑って応じた。特に思案する素振りも見せずに。
「それは出来ないかな。私は貴女を許すよ、未良」
「どうして……!?」
未良は声を詰まらせる。
「死んじゃうってことなんだよ!?嘘はやめてよ……!
私は悔しい!体が不自由になってから、私はずっとお姉ちゃんを救うことが目標だったのに。その結果が、むしろその逆だなんて!
大体、ノアくんだって理解がない訳じゃない。私が生きているお姉ちゃんを守るって決めたとしたって、それを責める人なんて誰も――」
「未良」
岼果は珍しく語気を強くして、それを遮る。
「貴女が決めて。私は、それを尊重するから」
「ずるいよ……!いつも私には自分の意思で決めるように言うのに、そう言うお姉ちゃんは私の言うこと全部受け入れて、何ひとつ求めてくれない。私の前じゃ絶対に辛そうな顔もしない。
お姉ちゃんだってたまには見せてよ、自分の気持ちってものをさ」
そう聞くと、岼果は気まずそうに笑った。
「私の気持ち、ね。
未良、私がアイドルを卒業してから役者を始めた理由は知ってる?」
「いや……」
「自分を閉じ込めたかったからだよ。
お父さんを事件で失ってから、ありのままの自分を見せつけることが怖くなった。それ以前と同じように仕事を楽しむことはどうしてもできなかったし、それはきっとファンに見透かされるに違いないって」
「じゃあ役者をやってるときも、お姉ちゃんはずっとそんな不安を……?」
未良がそう言うと、岼果は首を振る。
「そんなに消極的じゃないよ、私は。
確かに私は全力で役者をやった。ひとつのことにに打ち込めるのは自分の強みだったし、何より、物語の中に入ることが好きだってことに気づけたから。
未良もそう思わない?演じている人物は物語を必要としていて、物語は人物を必要としている。そして何より、そんな物語には終わりがある」
「終わり……」
「そう。現実を生きていればいつ訪れるかも分からない、良いものかも分からないのが終わりだけど……そこへ踏み込んでいくから物語は美しくいられると思う。そこへ向かっていく登場人物の営みに携われるから、終わるということに役者としての達成感を感じられるんだと思う。
そう考えて以来、私の人生観はそれと同じ。自分の物語の終わりを、こうして一番大切な人に意味のあるものとして与えられるんだとしたら……これより幸せな身の退き方はないよ」
岼果は両手で未良の肩にゆったりと触れる。
「求めるものなんてないの。辛い顔も見せないんじゃない……あのときから貴女だけが、演じている誰かでない私自身を、本当の意味で笑顔にさせてくれた。だから、気兼ねなく私のことを役に立てて欲しい」
姉の感触を得られたからだろうか――どこか気分の落ち着いた未良は恐る恐る顔を上げ、その顔を確認することができた。
「そんな、嬉しそうな顔しないでよ」
胸に抱いたのは、一種の悔しさだと気付いた。
幼稚にも、今の未良には告げられたことに対して拒絶することしかできない。弱さを受け入れ曝け出そうと努めた結果ですら、やはり身近な人の強さに甘えているだけ。一朝一夕では、弱さの根深いことを思い知るだけだ。
もう後に引けないことは分かっている。ただこれからは岼果がいない世界で、ひとりで生きていかなければならないのに――そう思っていると、彼女の姿が視界の端から逸れたことに気付く。
「心配しなくてもいい」
ベッドへ抱き寄せられた未良。
残された感触は、片耳から入る落ち着いた声と、腕に包み込まれた確かな体の温かさだけだった。
「だってそうでしょ?未良が私のことを生きていると思っているから、今の私がいる。……だとすれば、ずっと私達は同じ時間を生きてた。離れ離れじゃなかった」
「あ……」
不安が引いていくのが分かった。
――初めから、なくなるものじゃなかったんだ。
「それで、貴女は本当の時間の中で初めての一歩を踏み出すの。また、ここで消える私と一緒に」
未良は無言で頷く。
「ずっと言ってるでしょ?体の動かない私だけど、私にはまだ貴女の体があるって。だからさ――」
――初めから、お姉ちゃんはここにいた。
「これからもずっと一緒だよ、未良」
最後の言葉に頷くよりも前に、未良は彼女がその場から消えていることを自覚した。
「ありがとう、お姉ちゃん」
そして。
「間違いない。2回目の投稿で、先日の嘘は現実になったと……父さんの確認が取れた。
まずは……ありがとう。お前のおかげで望みが繋がった」
「大丈夫」
未良は一言告げて、ノアに対して掌を向ける。
「別に、ノアくんの為にやった訳じゃありませんからね」
「……そうか」
ノアは苦笑した。
「とにかく、これで『編綴コード』がなくなって『ABY』が無防備になったってことですよね?『サク』でサービス終了の嘘でも流せば、遂に『メディア・ハザード』の潮目も……」
「ああ」
ノアは言葉に反して、こちらへ目を合わせずに応じた。
「でも、簡単にそうする訳にはいかない」
「……どうして?」
「もしそれが後から打ち消されるようなことがあれば、今回みたく同じ嘘を複数回続けることになる。いくら『サク』でも、何度も当てが外れたことを認知されれば信用を失い、『ABY』を対象とした過去改変そのものが意味を為さなくなる恐れがある」
「打ち消されるって、まだそんな可能性があるんですか?」
「ああ、徐羅寧は俺の嘘を含む過去改変能力を全部で“4つ”と語っていた。確認しているのは俺、涼霜劉、牙隈岼果で3つ。懸念要素はあとひとつ残っている。
奴の発言を鵜呑みにするなら、それについてはまだ敵の手にある訳でもないらしいが……少し気になってることもあるからな」
「気になってることって……」
未良はそれ以上追及するのを控えることにした。
気になることに違いはないが、それがかつてのノアの悪癖とは異なるという推察はできた。
打算なしに、ただ彼が話したくないと感じたのであれば、無理を言うつもりはない。
「で……次にどうするかは考えてあるんですよね?」
「まあな。ただ、上手くいくかどうかは賭けだ。どういう意味かは聞けば分かる」
「今の私達は優勢な気がしますけど、そんな賭けをする必要ありますか?」
「“こちらが駒を動かせば、相手の駒も動く”。こちらが王手をかけられたとしても、逆王手だってあり得るのが終盤ってものだ。なに、ダメなら別の方法を取るまでだ」
『――まず、お前が乙丸と突き止めた“立体時間”のこと。嘘の能力を使う俺には、より実感をもって理解できた』
そうだ。
『俺の能力は、嘘をついた対象が抱いた認識の飛躍へ、“予定調和”と呼ばれていた時間の軸の方をずらす能力だったということだ。直進している時間の軸が丸ごと移動されれば、辿っていたはずの過去も変わってくる。その効力は、時のy座標、z座標にも及んでいる』
『z座標?それって確か、個人ごとの差を表現してるって話じゃ……』
『ああ。事実、俺の能力は能力者である俺自身の手をも離れ、委譲される性質を持っている。
嘘を吐いた相手にとって俺が能力を持っていることが矛盾するならば、その認識に基づいた時間が優先されているってことだ。委譲される対象にとっては能力を認識できるだけで、俺の記憶を引き継ぐことはできない。これは、“浅子理論”と共通する部分が多い』
幾度目かの、脳細胞が沸々と煮たって対流するような感覚。
『俺の記憶の中で、委譲された側が引き出せるのは“俺に共感できるもの”だけだった。俺が同じ感想を抱きそうなことのみをもうひとつの記憶として参照できるのは、各々の脳が遡行できる過去が、各固有の思考回路に基づく選択の実績だけだからだ』
『そんな、一体いつそんなことが……?』
『そして、俺の能力は1週間後、とある人物に委譲されることが確定している。そうすることで、俺は『メディア・ハザード』の根源に接触することができる』
『え!?』
『これは俺の能力の領域内で起きることだから、成功する目はある。重要なのは……お前が俺を信じることだけだ』
意識は壮絶な感覚の後からやって来る。
「お、もしかして『サク』のご帰還かな?」
ノアの顔を覗き込んだのは、渥美駆真だった。




