ゴリョウカク城塞跡 2
アンドロイドとサイボーグ。
両者の決定的な違いは脳幹である。アンドロイドは完全にすべてが人工物。場合によっては人間の記憶が転写されることはあるが、頭の中身まで全部機械だ。
対してサイボーグは、体の一部分が機械である。
一部というのは、たとえば九十九パーセントまで機械だったとしても一部という扱いになる。しかし、ただ一ヶ所、絶対に機械化できない場所があるのだ。
それが脳幹。
「その意味で、ミックミクは人間なのだよ。きみの脳はおそらく人間のものだ」
「そうなの?」
全然ピンとこない。
そもそも、人間だったときの記憶なんて……。
「あ」
「なにか思い当たったようだな。既視感をおぼえることなどがあっただろう」
アーネストの言葉にミクが頷く。
たとえば在りし日のイケブクロの風景を、彼女は知っている。
知識として以上に、体験として。
だから、変わり果てた今の姿が少しだけショックだった。
カンナギ遺跡から一歩も外に出たことのないミクなのに。
「でも、私は自分のことをアンドロイドだと思っていたんだよ?」
「おそらくという域を出ないが、人体の完全サイボーグ化は違法だったとか、そういうことではないのか」
大魔法使いが推論を開陳する。
事故などで死に瀕していた彼女の肉体から脳を取り出して機械の体に移植する。当時のニホンでそれは違法行為だった。だからサイボーグではなくアンドロイドだと言い張る。そのために記憶も操作した。
そうして、そこまでして生き延びさせた彼女だが、『ミキシング』によって異世界に飛ばされてしまった。
一度も世界に触れることなく。
しかし研究所の人々は、それでもいつの日かくるかもしれない、もしかしたらこないかないかも巣立ちのために、この世界の知識を彼女に与え続けた。
「カンナギ研究所。個人名っぽいしな。あるいはミックミクは所長の娘だとか、そういう立場だったのかもしれないな」
「ほえぇぇ」
「いやいや。もうちょっとなにかあるんじゃね? 出生の秘密てきな話なんだからよ。ほえーはないんじゃねーかと」
ミクの態度に、思わずシリングがつっこんでしまう。
泣くとか感動するとか、納得できなくて暴れまわるとか。
いろいろあると思うんだ。
なんで他人事みたいに驚いてるんだか。
「ゆーて、私に過去の記憶なんかないもん。サイボーグだって言われても、ほへーとしか言いようがないよ」
両手を広げてみせるミク。
ウィットに富んだ会話と仕草は、たしかに言われてみればものすごく人間くさい。
プラネタリウムの案内ロボットであるマルティナと比較しても、はるかに。
「まあたしかに、ミクはミクだよな」
「そうだよお前さん。恋女房のミクさんさ」
いつ結婚したんだって話である。
仮に結婚していたとしても、シリングが十八歳になるまで性交渉もできないのだ。
謎の倫理規定とやらで。
「それにまあ、吾輩が言ったのは推論の中でもわりと感動的なストーリーだ。もしかしたら、そこらへんにいた浮浪児や、誘拐してきた娘の脳を勝手に機械の体に入れたのかもしれん。で、都合が悪いから記憶を消した、と」
「うわぁ……」
「台無し。私の過去、台無し」
身も蓋もないようなことを言うアーネストに、ちょっと引いちゃう少年少女だった。
「レイスだ。物理攻撃は効果がないから注意しろ」
はるか前方に立ちはだかる悪霊ども。
数は七。
モンスターレートは五十くらいなのだが、魔力を帯びていたり聖別された武器でないとダメージを与えることができない。
やっかいな相手である。
「やっかいじゃない敵なんていないでしょ」
「そりゃそうだ」
ミクを背後にかばい、シリングが攻撃呪文の詠唱をはじめた。
ふたりには、これしか方法がない。
ミクのメイスも、シリングの短剣も普通の武器であり、魔力なんかもってないから。
「これでもくらえ!」
「これでもくらえ!」
シリングとアーネストの魔法が同時に放たれる。
が、結果は大きく異なっていた。
少年の魔法では悪霊をひるませただけだが、大魔法使いの魔法が命中した悪霊は耳障りな絶叫をあげて消滅する。
「ふむ。シリリンの魔法では威力が足りないか。魔力を付与するから、普通に剣で戦うといい」
言うが早いか、アーネストが呪文を詠唱する。
「魔神の剣」
ヴォーテン卿も使っていた付与魔法だ。
短剣とメイスが淡い光を放つ。
悪霊どもはもう指呼の間だ。
「いくぞ。ミク」
「あいよ。お前さん」
猛然と飛び出す二人。
シリングがまず狙うのは、つい先ほど自分がダメージを与えたレイス。確実に仕留めるために。
駆け抜けざまに一閃。
バックハンドで斬りつけるれば、悲しげな悲鳴を残して悪霊が消えてゆく。
「残り五!」
「四! 三!」
その横では、ミクが縦横にメイスを振るって次々と悪霊を消し去っている。
見た目的には叩き潰してるって感じだ。
本来、両手で持つような重さのメイスを片手でぶん回しながら迫ってくるんだから、悪霊たちもたまらないだろう。
突き出される冷たい手を巧みに回避しながら、シリングがもう一体の悪霊を消滅させたときには、ミクはさらに二体を葬っていた。
まさにワンサイドゲームである。
「撃墜スコアは四か。すごいな。ミックミクは」
「ううん。二人で六。私たちの戦績はそうやって数えて。アル」
賞賛したアーネストにミクが笑いかける。
コンビだから、と。
「いい奥さんだな。シリリン。きみを立ててくれてるぞ」
「戦闘力でミクと張り合おうと思いませんよ。パワーもスピードも圧倒的すぎるんですから」
「私の戦闘力は五十三万です」
謎の自慢をして胸を反らすミクだった。
ニホンのサブカルチャーであるアニメが元ネタらしいが、シリングもアーネストももちろん判らない。
「けどアル先生、いきなりレイスに出くわすとは、ゴリョウカク城塞跡ってちょっと危険すぎませんか?」
シリングが話題を変える。
戦闘力そのものは低いが、悪霊というのは厄介なモンスターだ。
普通の武器ではダメージを与えられないし、下手に触られるとエナジードレインという能力で生命力を奪われることもある。
動く死体や幽霊などと比較しても、厄介さは一ランク上だ。
しかし、そのへんにほいほい現れるモンスターではない。
人々の怨嗟が深くよどんだ場所。
まあ、ここが古戦場であるという事実を考えれば、出てくる可能性は否定できないが。
「うむ。吾輩が頻繁に訪れていた頃はレイスなど出なかった。せいぜいがゴーストくらいで、たいして実害もなかったのだ」
「や。ゴーストも実害ありますけどね?」
取り憑いたり、呪いをかけたり。
無害なモンスターとは、お世辞にもいえない。
というより、害がなかったらモンスターなんて呼ばれないのである。
「可愛いものさ。ゴーストの呪いなんて。人間の嫉妬や怨恨、悪意や害意などに比べたらね」
「そりゃそうですけど」
古来、人間を最も殺した敵というのは、人間と相場が決まっている。
魔王だろうが邪神だろうが、人間ほど人間を殺していないのだ。
ともあれ、ゴリョウカク城塞跡はそこまで危険なモンスターが出るような場所ではなかった。
もちろんアーネスト基準で。
一般人が近づけるようなものでは、絶対にない。
「親玉が現れたと考えるべきだろうな」
だから強力なアンデッドモンスターが集まってきた。
たしかにそう考えれば筋は通るのだが、うれしくもなんともない。なにしろアンデッドの親玉といったら、ノーライフキングたるリッチか、宵闇の王たるヴァンパイアか。
「どっちにしても戦いたい相手じゃないですね。目的のものを手に入れたら、さっさと退散しましょう。アル先生」
『我が居城に入り込んだあげく、宝物まで持ち出すつもりとはな。盗人猛々しいとはこのことよ』
突如として声が割り込む。
鬱々とした、まるで地の底から響くような声だ。
姿はない。
おそらく何処からか見ているのだろう。
「魔水晶はもともと吾輩の所有物だ。盗むのとはわけが違うぞ」
律儀にアーネストが言い返す。
ほっとけばいいのに、と、シリングもミクも思ったが口には出さなかった。
まったく長くもない付き合いの中で、大魔法使いの為人がだいぶ判ってきたから。ようするに彼女は無駄に議論好きなのである。
「そもそもきみだって、この城を不法占拠しているだけではないか。使っていないとはいえ、一応これはアマル王家の所有物だぞ」
『……人間どもの理に我が従う道理はない……』
「ちなみに吾輩も勝手に荷物を置いていた。仲間だな」
『…………』
いきなり仲間と言われても困ってしまうだろう。
ぶっちゃけシリングとミクも困ってしまった。
正直、何言ってんだこの人って気分である。
『生きて出られると思うなよ……』
たいへんに幼稚な捨て台詞とともに声が聞こえなくなる。
「なんだか怒っていたみたいだな」
そしてアーネストが小首をかしげた。
悪党同士、仲良くしようと提案しただけなのに、とか呟きながら。
「交渉は失敗のようだ。押し通るとしよう」
「交渉だったのか……いまの……」
「はかりしれないわ……」
ぼそぼそ言ってる少年と少女は、当然のように一顧だにされなかった。




