エピローグ
「転声能力?」
「はい、とりあえずそう呼称することにしました」
首を傾げて尋ねる七海と、それに真剣な顔で答える空羽。
現在、空羽と七海は、都内某所の歩道を並んで歩いている。『ベリーベリーベリー』の最終回、そのアフレコがおこなわれるレコーディングスタジオへと向かう途中なのだ。
七海の服装は、演じるキャラクターの蒼井瞳が女子中学生なため、私立明声学園高等部の制服である。左側頭部にはデカラビアの器である五芒星の髪飾り、そして、全身の至る所に包帯、テーピング、絆創膏といった、衛生材料の姿が見て取れた。一方の空羽は、いつもの学生服姿であり。その左肩には黒いカラス、アモンがとまっている。
稲葉樹梨、アバドン、イナゴとの死闘から一夜明け、ついに迎えたアフレコ当日。安静にしたほうがいいと心配する空羽とデカラビアの言葉に従い、学校こそ休んだ七海であったが、アフレコだけは休むわけにはいかないと、全身に包帯、テーピングを巻き、湿布、軟膏、痛み止め、使えるものは何でも使い、空羽とデカラビアの静止を振り切って家を出た。そんな七海を心配し、つき添いを買って出た空羽。それにアモン、デカラビアが同行して、今に至る。
約束の期日である今日。アモンが正式な形で七海の生存に同意し、その意思を朝一で反対派の二柱に申告。多数決は、賛成三、反対二で決着し、七海の生存が確定した。
イナゴとの戦闘中に額を強打し、気絶した芽春については、アバドンが路地裏に残した破壊の爪痕を利用し、何とか誤魔化している。
『東京の路地裏で爆発物!』といった具合に、歪められた形でテレビにも取り上げられ、巷で話題の爆発事件。この事件に不幸にも巻き込まれ、七海は大怪我、芽春は気絶――といった具合である。
かなり無理のある話だったが、七海はこれを持ち前の演技力でカバーし、どうにかこうにか押し通すことに成功、ことなきを得た。
約束をすっぽかしてしまった悠里に対しても、同様の言い訳を使用。怒られるどころか、逆にすごく心配させてしまったときは、本当に心が痛んだものである。
芽春は芽春で、守るはずだった七海に爆弾から庇われ、自身はほぼ無傷、七海は大怪我という状況に愕然とし「腹を切らせていただきます!」などと言い出す始末で、説得に苦労した。
稲葉樹梨のことは――あまり詳しく知らない。空羽は「僕がやったことです。七海さんが気にすることではありません」と言うだけで、話してくれないのだ。一応、飛び降り自殺という形で落ち着きそうなことは、今朝のニュースで確認している。
こうして、七海は激動の三日間を見事生き抜き、仕事と友人、そして、声優としての誇りと使命を守ることに成功したのである。
生きている。明日がやってくる。そんな当たり前の幸せを噛みしめながら、七海はレコーディングスタジオへ続く道を、空羽と共に歩いていた。
並んで歩く七海と空羽。二人の会話は尚も続く。
「まるで生まれ変わったかのように、声優として担当したキャラに変身する能力。だから転声。転ずる声と書いて、転声です。もちろん、七海さんが別の呼称がいいと言うのであれば、強制はできませんが」
七海の反応を窺うように、首を傾げて七海の方へと視線を送る空羽。一方の七海は、口元に右手を当て「転声……転声……」と一人呟く。
ほどなくして七海は顔を動かし、空羽と視線を重ねた。次いで、笑顔と共に口を開く。
「転声能力。いいじゃないですか。うん、気に入りました。これからは、私もそう呼ぶことにしますね」
「そうですか、気に入ってくれたのなら幸いです」
「私も……いいと思う……天性の声優でもある七海に……ぴったり……」
七海の左側頭部、五芒星の髪飾りから、普通の人間には聞こえない声が聞こえた。デカラビアである。
「あ、デカラビアさん。調子はどうですか?」
「ん……完治にはもうちょっとかかる……かな……」
いつも以上に小さく、弱々しい声だった。イナゴの毒が未だに抜けきっていないのである。
「無理はしないでくださいね?」
「わかってる……安静にして……早く毒を全部出す……そうしないと……七海との繋がりを作れないし……」
「う……私、やっぱりデカラビアさんとも、肉体の一部を交換し合わないとダメですか?」
アモンの肉体を飲んだときのことを思い出し、顔を青くしつつ尋ねる七海。それに対しアモンが「当然だ」と言いたげに大きく頷いた。
「七海の転声能力は確かに強力だが、燃費が悪すぎる。想力師として素人で、イメージに放射する想力が目分量であることを差し引いても――だ。それを私だけで賄うのは、正直辛い」
真剣な声で言うアモン。想力の供給源であり、いまだに生殺与奪の権利を握られている相手にこう言われては、七海としては「はい」と同意するしかない。
またあれを飲むのか――と、意気消沈する七海。そんな七海を元気づけようと思ったのか、空羽が口を開く。
「まあ、想力師として成長していけば、少しは消費量を減らせるはずです。具現化するイメージに対して放射する想力。その必要最低値が、自然とわかるようになりますから。精進あるのみですよ、七海さん」
「うう……先は長そうだな~」
「まあ、時間は沢山あるんです。ゆっくりいきましょう」
「そうですね。空羽さんたちとは長いつき合いになりそうですし」
ここで七海は思い出す。今朝、アモンが七海に対して突きつけた、生かしておくことに賛成する見返り、ある一つの条件を。
アモン曰く――
「ソロモン七十二柱探し、お前も手伝え」
とのことだ。
共に過ごした三日間で薄々勘づいていたことではあったが、空羽たちは何かしらの理由があって、ソロモン七十二柱を探し、集めているらしい。生かしといてやるからそれを手伝えと、アモンは七海に要求してきたのである。空羽が国内で起きた不可解な事件を一通り調べているのは、このソロモン七十二柱探しとやらの一環らしい。
それに加え、勢いで口にしてしまった「空羽さんは私が養います」発言も、アモンはなかったことにはしてくれなかった。今後も続いていく七海と空羽、そして悪魔たちとの共同生活。それによって発生する費用は、基本的に七海の私財で賄われることとなった。もっとも空羽は「ヒモなんてまっぴらごめんです!」と言って、生活費は必ず払うと公言している。
使える人間は利用する。これが悪魔の鉄則だ。アモンに使えると認められた七海は、今後骨の髄まで利用されるに違いない。
ここで七海は顔を動かし、空を見上げた。頭上に広がる青空を見つめつつ、七海はこれからのことに思いを馳せる。
正直、不安はある。空羽や悪魔たちとの共同生活はいまだに慣れないし、空羽との半同棲が世間にばれでもしたら、ファンサイト炎上どころでは済まないだろう。手伝うことになったソロモン七十二柱探しとやらも、一筋縄でいかないことは目に見えている。ソルトの戦闘力を目にしてから態度を一変させたアモンを見るに、今後の活動には何らかの戦闘行為が付随するのは明らかだ。そして、昨日のような突発的想力事件も、一生七海について回るに違いない。
少し考えただけでも、見事に不安要素だらけなことがわかる。不安だらけの未来が、御柱七海を待っている。
でも、大丈夫。なぜなら七海は一人じゃない。
七海の中にはソルトという仲間がいる。大切な友人がいる。
いまだ目を覚まさない他の仲間たちも、ソルトと同じように、いつか必ず目を覚ます。
だからきっと大丈夫だ。不安だらけの明日だけれど、希望があれば歩いていける。
それに、空羽やアモン、デカラビアのことが嫌いかと聞かれれば――そうでもない。ソルトと再会できたのは、彼らのおかげだ。迷惑も感じているが、同じくらい恩義を感じてもいる。思考を切り替えて楽しもう。これからも続く、現実と空想が入り混じる生活を。
「よろしくご指導ご鞭撻のほどをお願いいたします」
空へと向けていた顔を元に戻した後、七海は空羽に対して頭を下げた。
「ええ、色々教えてあげますよ。想力のこと、想力体のこと、戦いのことに、世界の裏側。生き残る術に、想力師としての心構え。何でも聞いてください」
笑顔でこう言ってくれる空羽、七海もそれに笑顔で応じ、次いで口を開く。
「じゃあ、早速一つお聞ききします」
「何でしょう?」
「空羽さんのご家族のことです。仲間になるんですから、いいでしょう?」
七海は「イカサマの件、忘れた訳じゃありませんよ~」と、視線で訴えながら言う。すると空羽は、優しい笑顔を余裕の微笑みに変え、こう言葉を返してきた。
「その発言は想定内ですね。なので、用意していた回答をそのままお返ししましょう。お断りします。過程はどうあれ、あのときの勝負に勝ったのは僕です。教えるつもりはありません」
「むぅ~」
「でもいつか……そうですね。いつか七海さんのことを、心の底から信頼できると思えるようになったら……そのときは……」
申し訳なさそうに、そして、どこか寂しそうな顔で紡がれた、空羽の言葉。この言葉に嘘はないと七海は感じた。間違いなく、彼の本心からの言葉である。
その空羽の寂しそうな顔を見た瞬間、七海の心臓が大きく高鳴り、頬には赤みが差した。そして、顔が急速に熱を帯びていくのを七海は自覚する。
この感情は知っている。声優として、幾度となく声に込めてきた感情だ。だが、自己暗示を使用していない、ありのままの七海としては、初めての感情である。
自己暗示で、アニメキャラにこの感情を抱いたことはある。映画の吹き替えで、外国の男優にこの感情を抱いたこともある。
だが、違った。全然違った。
殺意と同じである。今まで七海が声に込めてきた《《それ》》は、取るに足らない擬い物。
これが――これが、本物の――
「ふふ」
「七海さん? どうかしましたか? 急に笑って?」
「いえ。どうやら私は今回の事件で、声優としてまた一歩成長することができたようです」
命を張った甲斐があったというものだ。
「?」
「あ、つき添いはここまででいいですよ。もう見えてきましたから」
七海は「どういう意味です?」と首を傾げる空羽から視線を外し、見えてきたレコーディングスタジオを右手で指差した。七海はそこで歩みを止め、空羽もまた立ち止まる。
「わかりました。では、僕はここで帰ります。頑張ってくださいね、七海さん。御馳走を用意して、帰りを待っていますから」
「ふん。まあ、無事に終わることを祈っててやる。精々頑張るといい」
「心配ない……七海には……私がついてる……だから大丈夫……」
空羽、アモン、デカラビアの順に、七海に向かって思い思いの声援を口にした。七海はその声援に背中を押され、再び歩き出す。そして、足を動かしながら、こう口にした。
「はい、いってきます!」
空羽、アモンと別れ、七海はデカラビアと共に、一路レコーディングスタジオを目指す。
もう振り返らない。アフレコに集中だ。
「さてと、僕たちは買い物してから帰るよ、アモン。今日はお祝いだ」
「そうだな。私も久しぶりに酒でも飲むか。皆と共に祝うとしよう。ソロモン七十二柱、七十三番目の悪魔の誕生を」
「あ、いいねそれ。名前が七海だし、ぴったりだ」
背後から聞こえてくる突っ込みどころ満載の会話に、先程の決意を忘れ、思わず振り返りそうになる七海だったが、歩みは止めず、前に進む。
「コードネーム……七十三番目の悪魔……うん……いける」
左側頭部から聞こえてくるデカラビアの独白に、いけるってどこに!? と、胸中で叫びながらも、七海はその歩みを進めた。
ほどなくして――
「着いた……」
七海は、ついにレコーディングスタジオの前に辿り着く。
今日ここで、アニメ『ベリーベリーベリー』最終回のアフレコがおこなわれる。
そう、最終回だ。
失った友人を、もう一人の自分を取り戻すという七海の願いは、すでに叶った。だが、それでも最終回というのは、七海にとって特別な意味を持つ。
これは儀式なのだ。
七海の中で圧縮保存された自己暗示が、確固たる人格として新生するための、大切な儀式。
それが、最終回アフレコだ。
ここに辿り着くために、何度死線を潜り抜けたのだろう? と、七海は目頭を熱くした。そして、思う。
これから、一つの物語が完成し、終わるのだ――と。
どんな物語もいつかは終わる。それは仕方のないことだ。それが大好きな物語で、どんな終わり方であろうとも、その終わりを止めることは七海にはできない。七海に、声優にできるのは、その終わりに花を添えること。それだけだ。
ならばせめて、蒼井瞳の物語に、その英雄譚の終わりに、飛び切りの花を添えるとしよう。
さあ、物語の幕引きだ。
「声優・御柱七海。がんばります」
七海はそう呟いた後、前に向かって足を踏み出した。
おわり




