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039・私が空羽さんを養います

「アモンさん……ですよね?」


 空羽と共に路地裏に降り立った、黒炎を身に纏う長身の騎士。その後ろ姿を見上げつつ、七海は恐る恐る尋ねた。すると、長身の騎士は重厚な見た目とは裏腹に、軽やかな動作で後ろを振り返ると、七海の顔を見下ろし、こう言葉を返してくる。


「ふん、無事だったか」


 まったく特徴のない、不思議な声だった。声優である七海でも、男なのか女なのか判別できない、分類不能な声。


 アモンの声だ。間違いない。


 胸中で安堵の息を吐く七海。次いで、アモンの言葉に答えるべく口を動かした。


「はい、何とか。とりあえず五体満足です」


 この言葉と共に、僅かだが笑みを浮かべる七海。そして、器から飛び出し、真の姿を現したアモン。その全貌を改めて観察する。


 アモンの容姿は、一言で表現するならば『黒炎の騎士』だった。


 鳥の頭蓋骨を模した禍々しいヘルムで頭部を覆い隠し、蒼白いフルプレートアーマーで全身の防備を固めた、人型の騎士。


 ヘルムには漆黒の飾り羽が二枚あしらわれ、鎧の胸当ては狼の頭部を模している。関節部から垣間見える鎧の下には、鎧と同色のテーピング状の防具が、幾重にも幾重にも巻かれていた。


 少し離れた場所から漠然と眺めただけでも、アモンの全身が一部の隙もなく防具で覆われていることがわかる。その面貌どころか、肌の色すら確認できない。強いて言えば、臀部から伸びた尻尾、鱗という名の鎧で覆われた、蛇皮の尻尾だけが、唯一視認できるアモンの肉体と言えた。


 禍々しくも美しい、実に見事な鎧だった。一目見ただけで眼球に焼きつき、魂にまで刻み込まれる神魔の戦化粧。そして、彼が身に纏う戦化粧は、鎧だけではない。


 黒い炎。


 アモンの周囲には、黒い炎が常に漂っている。


 アモンの体を包むフルプレートアーマーと、テーピング状の防具。それらが作るほんの僅かな隙間から、黒い炎が吹き出しては消え、噴き出しては消えを延々と繰り返し、アモン自身と、その周囲を青黒い光で照らしていた。その闇の光が、悪魔アモンという存在をより一層際立たせている。


 これが、アモン。


 数いる悪魔の君主たち、その中で最も強靭であるとされ、幾多の神とその力を取り込んだ、四十の軍団を従える大いなる侯爵。名前だけで大手の動向を左右しかねない、強大な想力体。その真の姿。


 しかし、七海はアモンのその姿に、なぜだか違和感を覚えた。


 違う――と。


 確信はない。だが、なぜかそう感じる。


 七海が感じた違和感。それは、RPGのボスキャラが画面に現れたとき「あ、こいつ。一回か二回変身するな」と、感じるときのそれに似ていた。


 あの姿は――違う。本当の意味でアモンの真の姿ではない。七海はそう感じ、そして、それでいいのかもしれないと思った。


 アモン。その名は「隠されしもの」「底知れぬもの」「計り知れぬもの」を意味する。


 名は体を表すという。あの鎧の内側には、底すら計ることの出来ない、隠された『ナニカ』があるのだろう。


 きっとそれは、世に出ない方がいいものなのだ。謎のまま、人の目に触れない場所に、永遠に隠しておいた方がいいものに違いない。


「ふむ、思いの外元気そうだな。まあ、お前との繋がりで、大きな怪我をしていないことはわかっていたが」


 小さく頷きながら言うアモン。七海がアモンのことを観察していたように、アモンもまた七海のことを観察していたのだろう。


「さて七海。早速だが、お前には伝えておかねばならないことがある」


「ふえ?」


 アモンの言葉を聞いた瞬間、七海の背筋に凄まじい悪寒が走った。が、それもそのはず。アモンの声には、僅かだが怒りと、失望の感情が含まれていたのである。しかもその感情は、デカラビアに毒を盛ったアバドンに向けられたものでも、こちらの様子をうかがっている樹梨に向けられたものでもない。紛れもなく、七海自身へと向けられた感情だった。


「お前も知ってのことだが、空羽は今日も『サザンクロス』でバイトだったのだ。そのバイトを、お前を助けるために、店の支配人に無理を言って抜け出してきた。これが何を意味するか……わかるな?」


「え、えっと……」


「それはつまり、空羽の収入と、職場での信用が減少したことを意味する。高校進学を控え、何かと入用なこの時期に――だ。この落とし前、貴様はいったいどうつけるつもりだ?」


「それは、その……あ、あはは……」


 咄嗟に笑顔での誤魔化しを図る七海だったが、どうやら逆効果だったらしい。アモンは七海から視線を外し、こう言い放った。


「審判のときは明日の夜。その瞬間をせいぜい楽しみにしていろ」


「そんなぁ~!?」


 どうやらこの場を乗り切ったとしても、七海の命運は、明日の夜に尽きるらしい。


「アモン、バイトのことは別にいいから。って言うか、アモンが七海さんを殺しちゃったら、それこそバイトを抜け出してまで助けにきた意味がなくなっちゃうんだけど?」


 空羽は呆れ顔で左隣にいるアモンを窘めると、待ち望んでいた救援者の片割れから放たれた、あまりにあんまりな言葉に絶望し、今にも崩れ落ちそうな七海へと視線を向ける。そして、七海を安心させるように微笑み、こう口を開いた。


「七海さん、ご無事でなによりです。もう大丈夫ですよ」


「空羽さぁん……」


 ようやく聞けた優しい言葉。そして、その声に込められた労いと、安堵の感情。そんな空羽の優しさに思わず涙しそうになりつつも、七海はどうにか言葉を返した。


「相変わらず空羽は甘い。大事になってクビなんてことになってみろ、目も当てられんぞ。七海の存在は、お前にとって害悪なのだ」


「まあまあ。アモン、とりあえず落ち着いて。想力絡みのごたごたで、いつかバイトをクビになることも想定してあるからさ。大丈夫だよ、何とでもなる」


「そ、そうですよ。大丈夫ですアモンさん! 心配なんてしないでください! もしものときは、えっと……わ、私が空羽さんを養いますから!」


 何だかとんでもないことを言っている気がするが、とにかくアモンの好感度を上げようと、声を張り上げる七海。やけくそ気味に口にした言葉だったが、何かしらの効果はあったようで、アモンは右手を口元にあて「ふむ、それなら……」と唸り、空羽は「まるでヒモだな……」と、複雑そうな表情で空を仰いだ。


「まあ、その話は後でするとして――」


 空羽は、仕切り直すように真剣な声でこう呟くと、険しい表情でこちらの様子を窺っている樹梨と、アモンのことを興味深げに見つめるアバドンに視線を向けた。


 樹梨にとっては想定外であろう空羽の出現。その非常事態に対し、樹梨は意外と冷静だった。空羽に対し不用意に襲い掛かることも、言葉を投げかけることもせず、その一挙手一投足に目を配り、いつでも動けるよう油断なく身構えている。どうやら先程までの激情は、毒々しい百足と共に吹き飛んだようだ。

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