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037・最近のネットカフェって、会員制が増えてきたと思わない?

「きゃあ!」


 急変した事態に気を取られ、反応が遅れた七海。左肩に巨大百足の頭部が直撃し、後方に向かって弾き飛ばされる。次いで、ビルの壁に背中を強打した。


「が……!」


 声すら出せない激痛に身を捩り、地面にうつ伏せになる七海。そんな七海の姿を見つめながら、樹梨が楽しげに笑い声を上げた。


「あっはは~! きゃあ! ですって、きゃあ! さすが天才声優の御柱七海! いい声で鳴くわ~」


「……っ!」


 歯を食いしばりつつ顔を上げ、樹梨のことを睨みつける七海。百足になっていた右腕を元に戻した樹梨は、これ見よがしに舌なめずりをした後で、七海に向かって足軽に近づいていく。


「ま、待て……」


 蚊の鳴くような声と共に、樹梨に向かって黒い手を伸ばすデカラビア。毒でまともに動かない体に鞭を打ち、七海を守ろうと必死に手を伸ばす。


「ふふ」


 樹梨は、そんなデカラビアを楽しげに見下し、ゆっくりと伸びてきた黒い腕を右足で踏みつけた。次いで、地面に横たわるデカラビアめがけ、冷たい声で言い放つ。


「大人しくそこで寝てなさいな、役立たずの金色ヒトデさん。あなたの大切な人が、これから私の玩具になるところを、特等席でたっぷりと見せてあげる」


 ショートブーツの踵でデカラビアの腕を抉り、恍惚の表情で樹梨は笑う。そんな樹梨への怒りを力に変え、体に走る痛みを無理矢理抑え込み、七海は口を動かした。


「な、なんで私を狙うのよ? あなたにそこまで恨まれる心当たりが、正直ないんだけど? 私と、あなた、過去に何か接点があった?」


 地面に手をついて体を起こし、どうにか立ち上がる七海。そんな七海へと視線を戻した樹梨は、七海を狙うその理由を、思わせぶりな口調で語り出した。


「御柱さんにはなくても、私には大ありなのよ。あなたは、私の大切なものを壊したのだから」


「大切な……もの? 壊した?」


 身に覚えのない話だ。何のことかわからず、七海は困惑の表情を浮かべる。


「ええ、とても大切なものよ。二日前、あなたは……いえ、あなたたちは、私が苦労して作り上げた、理想の殺人鬼を壊したじゃない」


「――っ!?」


 理想の殺人鬼。それって――


「まさか『怨嗟の声』の!?」


「そう、その通り。その殺人鬼よ」


 絶えず浮かべていた怪しい笑みを消し、七海の言葉を肯定する樹梨。そして、こう言葉を続けた。


「ついさっき、アバドンと、そこの金色ヒトデさんの話の中にも出てきたけどね、御柱さん。いくら想力師だからって、好き勝手に力を行使できるわけじゃないのよ。社会的に逸脱した行為を続けていると、くだらない正義感を振りかざす大手の連中に目をつけられて、粛清という名の袋叩きに遭う。どんなに強い想力体と契約しても、その粛清には抗えない。大手の幹部連中につき従う想力体は、このアバドンと比べても遜色のない化け物揃いだし、数の暴力にはかなわないわ」


 樹梨は「一個人では、組織にはかなわないのよ」と、つまらなそうに吐き捨てる。


「私は、アバドンからこの話を聞いたとき、なんて理不尽な話なのと思ったわ。だってそうでしょ? 想力っていう素晴らしい力を手に入れたのに、それを自由に使えないなんて。殺したい奴、壊したい奴は、日を追う毎にどんどん増えていくのに!」


 いらつきを発散するかのように、樹梨は右足で地団太を踏んだ。何度も何度も、デカラビアの黒い腕を踏みつける。


「二、三人くらいなら、大手の連中は動かないらしいけれど、それじゃあまるで足らないわ! だから私は考えたのよ! 私自身は手を汚さず、大手の連中に目をつけられることもなく、気に入らない奴らを殺し続ける方法を!」


 最低な発想、そして、最悪な女だ。心底そう思いながらも、七海は樹梨の話に耳を傾ける。


「そこで目をつけたのが、あの掲示板よ。私が想力を認識できるようになる切っ掛けにもなった、あの掲示板。それを利用することを思いついたの」


「掲示板……切っ掛け……?」


 樹梨を下から見上げつつ、今にも消え入りそうな声で尋ねるデカラビア。樹梨は、再びショートブーツの踵でデカラビアの腕を抉ると、それに答えた。


「そうよ。あの掲示板で、死んでくれって名前を書き込んだ人間が、本当に死んだっていう書き込みを見てね。とても羨ましかったから、私にも同じことが起きないかな~って、軽い気持ちで気に入らない奴の名前を書き込んだら――はは、そいつ次の日に、交通事故に遭って本当に死んじゃったわ!」


「そのときに、心の底から信じたんですか? この掲示板には不思議な力がある。世の中には、不思議な力が実在するんだって」


「その通り! 死んでほしい人間が労せずに死んだっていう奇跡と感動を伝えようと思って、掲示板に新しい書き込みをしているときにね、アバドンが私の前に現れたの! 私の目の前で、新しい世界の扉が開いたのよ!」


 派手な身振り手振りと共に、アバドンとの馴れ初めを実に楽しそうに語る樹梨。そんな彼女を見つめながら、七海は昨日目にした『怨嗟の声』の掲示板と、その中の書き込みを思い出す。


 樹梨の話から察するに、空羽が言っていた起点の一つ――




《投稿者・名無しさん

『やった! 願いが通じた! 私の書き込んだ人も死んだ!』》




 が、樹梨の書き込みだろう。


 あの殺人鬼は、偶然の重なりで生まれたわけではなかったのだ。いや、始まりは確かに偶然だったのだろう。だが、途中からは必然に変わっていた。あの殺人鬼は、稲葉樹梨の悪意によって、故意に生み出された想力体だったのだ。


「思いついてからは簡単だったわ! 掲示板の書き込みで、馬鹿な他のユーザーと管理人を誘導して、頃合いを見計らって殺人鬼の噂を流して、CGを添付して!」


「あのCGもあなたが描いたんですか?」


「上手でしょ? 特技の一つよ」


 樹梨は得意げに笑う。


「ほどなくして私の目論見通り、殺人鬼は自我を形成し、想力体になったわ。私の代わりに、私の気に入らない人間を喜んで殺してくれる、理想の殺人鬼の誕生よ!」


 両手を左右に大きく広げ、自らの成果を高らかに宣言する樹梨。狂気に取りつかれたその姿は、まさに鬼女と呼ぶに相応しいものだった。


「あの殺人鬼が殺した十一人、そのうちの六人が私からのリクエストよ! ネットでの噂が原型というのがミソでね! アナログな伝統を後生大事にする大手の連中の目を見事に逃れることができたわ! 私の目論見は大成功! これからもあの殺人鬼には、私の代わりに気に入らない奴らをどんどんどんどん殺してもらおう! そう……思っていたのに……」


 話の後半で声色を百八十度変え、樹梨は剣呑な視線を七海へと向けた。


「御柱さん、あなたと……何て言ったかしら? えっと……そうそう、空羽とかいう男に邪魔されたのよ。あなたたちが、私の殺人鬼を壊した。しかも、完璧な事後処理つきでね」


 声に凄まじい敵意と、憎しみを乗せながら「もう復活は不可能よ」と、七海を睨みつける樹梨。七海は、そんな樹梨の視線に臆することなく口を開き、こう言葉を返した。


「いくつか気になることがあります」


「何かしら?」


「なぜあなたは、私や空羽さんのことだけじゃなく、デカラビアさんのことを知っているんですか? 空羽さんがあの殺人鬼を倒したことと、私がその場に居合わせたことは、殺人鬼を監視させていたイナゴを通じて知ったんですよね? だとしても、デカラビアさんのことは説明がつきません。どこで、どういった経緯で、デカラビアさんのことを知ったんですか?」


 ここまでくれば七海にもわかる。あの日、アモンが察知した実体化した想力構成物。何かしらの想力体の眷属とは、イナゴのことだったのだ。手間暇かけて作った想力体、理想の道具。そんなモノを、見張りもつけずに放置するなどありえない。あの殺人鬼は、イナゴに常に監視させていたに違いない。


 こう考えれば、七海が空羽の仲間だと勘違いされたことも説明がつく。あの日、自分から首を突っ込み空羽の段取りをめちゃくちゃにした七海であったが、端から見れば、七海と空羽が協力したようにも見えただろう。空羽が七海に殴りかかったのは、イナゴが逃げ帰った後だった。


 だが、説明がつくのはここまでである。デカラビアのことだけは説明がつかない。あの場に居合わせなかったデカラビアの存在を、樹梨が知るのは不可能なはずだ。


 この七海の質問に対し、樹梨は再び怪しい笑みを浮かべると、含みのある声でこう答える。


「御柱さん。最近のネットカフェって、会員制が増えてきたと思わない?」


「は?」


 ネットカフェ?


「アングラサイトを多用する人間はね、会員制のネットカフェには少し入り辛いの。実際に後ろ暗いことをしている私なんかは、特にね。あと、料金も馬鹿にならないわ。知ってるとは思うけど、声優活動ってすごく大変なの。御柱さんみたいな人気声優と違って、私みたいなうだつの上がらない見習い声優は、万年金欠でアルバイトが必須。社員割引でもないと、ネットカフェにもいけないわ」


 ネットカフェ。アルバイト。社員割引。それってまさか――


「あなた、ひょっとして……」


「そう。御柱さんが、空羽とかいう想力師と一緒に利用したネットカフェがあるじゃない? あそこでね、アルバイトをしているのよ、私。まさに、趣味と実益を兼ねた仕事ってやつね」


「は、はは……」


 東京って狭いな――と、胸中で呟き、七海は乾いた笑い声を上げた。


「理想の道具を壊した憎っくき相手が来店したときは、怒りで我を忘れそうになったわ。でも、復讐を確実なものにするためにって自制して、不自然にならない程度にあなたたちの会話に聞き耳を立てたの」


「モラルもプライバシーもあったもんじゃないですね」


「私、復讐の相手があの御柱七海だって知って、凄く驚いたのよ。でも、同姓同名、他人の空似って可能性もまだあったから、念のためにイナゴを出した状態で、スタジオから出てきたあなたとすれ違ったの。そしたら反応があって、はい確定」


 あれにはそういう意図があったのかと、七海は一人納得する。


 どうりでなんの警戒もなく、自分の想力師としての活動期間を口にしたり、無遠慮に七海を挑発したりしたわけだ。樹梨はすでに知っていたのである。七海が想力を認識できるようになったばかりの素人であることも。デカラビアは七海の護衛をしているだけで、契約を結んでいないことも。デカラビアが七海を憎からず思っていることも。全部。


 デカラビアに対しては、事前にその文献を読み漁り、幾重にも対策を講じていたに違いない。使いこそしなかったが、芽春の服の中に忍ばせたイナゴの他にも、幾つか奥の手を用意していたのだろう。芽春に忍ばせたイナゴの方が、むしろ保険だったのかもしれない。


 樹梨の声に、敵意と、観察、隠蔽、軽侮の感情が混じるわけだ。樹梨は、自分たちの方はこちらの情報を持っていることを隠し、絶対的有利な立場から、七海とデカラビアを見下していたのである。会話で探りを入れる必要なんてない。初めから、七海とデカラビアは丸裸だったのだ。

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