003.緩やかな風と結わう繋がり
およそ2年ぶりの投稿……自分でもびっくりでした。
――薫る潮風と照り付ける太陽の日差し。大きく張った帆に風を受け、大海原を今日も往く。
「んー……んん? うん――うん?」
大きな帆船の甲板中央部。まだ陽光が東から照らす午前中のその時間に、老若男女な複数人が円を描いて座り込んでいる。そこで困惑した様な声を上げるのは、唯一のおんなのこ――樹精霊のリリィである。
「こうで――こうして――こう」
リリィの隣に座って手を動かすのは、銀髪碧眼の航海士――エディーだ。彼が慣れた手つきで二本のロープをぐねぐねと曲げ、潜らせ、引っ張れば――綺麗な結び目がロープで編まれる。
「こうして、こうで――んん?」
真似てリリィも手元のロープをぐねぐねしてみるのだが、何かが違う。自分がおかしいのか、それともエディーがおかしいのか。首を傾いでリリィが逆隣に居るアルフをちらりと見れば、
「――こう、こうで、こうして――できた、ウォーターノット!」
どやぁ、と。アルフはリリィの視線にも気づかず、エディーが提示したのと同じ形に作った結び目を嬉しそうに両手で掲げて満面の笑みを零す。
「おぉぅ、アルフは出来ただとぅ!? ――はっ、ご老体は!?」
「ほっほ、どうれ――ほっ、ほぅ、ふむ――出来たのう」
アルフがしっかり結び目を作れた事に驚愕の表情を浮かべ、リリィは他のメンツの様子を見やる。言葉と共に視線を向けるは隣の隣、アルフ越しに見える――魔導師風の、白髪をしたご老体。その老人の手元へ視線を向ければ、どうやら彼も難なくテグス結びは作れたようである。
「なん、だと……。……あっ、クレイマンさんは――」
「――ああ、ええっと……なんだか期待に沿えず、申し訳無い」
さらにそのご老体の隣。一縷の望みと期待をこめてリリィが視線をスライドさせるも、視界に入ったのは困惑顔の微苦笑。綺麗な結び目を手でヒラヒラさせるのは若い金髪の、これまた魔導師風貌である。
「……なんでボクだけ上手く行かないんだよぅ……」
ぐるりと円陣を組むように座ったメンバー、己の左隣のアルフから時計回りで右隣のエディーまで視線を一周させれば、リリィ以外は全員結び目をきちんと作れているようで。
「――輪に通す上下が逆だ」
講師役のエディーが横からリリィの手元を突っつき、口数少なく結び目の片方を一度解くように指示する。
「うん? ――じゃあ、こうして、こうで――」
「……それではさっきと同じだ、逆」
「うっ、じゃ、じゃあこう言う事――」
「――それは逆ですらない、それでは結び自体が出来ない」
先に結びを作り終えた講習参加者の視線を一身に集めながら、リリィはわたわたとロープ相手に格闘を続ける。
見かねたエディーが小さく溜息を零せば、リリィの左手に己の左手、右手に右手を重ね、
「――こうして、こうして、こう」
「こうして……えぇっと、うん? ……うん」
手の動きを誘導し、正しい『ウォーターノット』の結び方を手解きする。
「――できたっ!」
どやぁ。先のアルフと同じ動作で、完成した結び目を自慢げに掲げる我らが樹精霊サマ。
「いや、アネさん。それ、殆どエディーの兄貴がやったようなモンじゃね?」
じとり、とアルフが細めた視線で真横のリリィを見据えて、言ってはならない言葉を零す。
「うっ……」
言葉に詰まり、視線を泳がせるリリィ。そんなリリィの肩にポン、と手を置き、
「すぐに全部出来なくても良い――少しずつ、憶えていってくれ」
エディーが目を伏せる。各々の自由時間を利用した勉強会。何も今日限りというワケでは無いのだ。エディーを見返して若干頬を膨らませたリリィは、肩を落として溜息一つ。
「……はぁい。悔しいなぁ……」
足元に結び縄を置き、深呼吸を一度。思わぬ所でリリィの不器用さが露呈してしまう結果となった訳だが、それほど深刻な問題と言う訳でもない。
「結び目の作り方は多種類ある。状況に応じて有用な結び方も様々だ。――だから一つずつ、確実に覚えて行ってくれ。今教えたウォーターノットは、ロープとロープの終端を結束する結び方。ロープの径が違うモノ同士でも問題なく結束が出来る結び方で、優先度は高い」
軽く手を叩いて視線の注目をリリィから自身へ引き継いだエディーが淡々と言葉を発し、ぐるりと円陣を囲む皆が一様に頷きを返す。
「えええええ、まだ種類があるの!? あるの――!?」
「次はもやい結び。輪の径を固定して結べて、自然には解け難く、かつ、故意に解くのは簡単な結び方――コレは必修。ちゃんと出来るまで居残りさせる」
――およそ一名、半泣きになりつつある女の子を、除いて。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「――では、このあたりで各自解散。引継ぎがある者は急ぎ準備して交代を」
ぐねぐねとしたロープワークの勉強会が終る頃には、お日様はすっかり高い位置へと移動しきっていて。ともすればもうお昼時。エディーの声で参加者たちはそれぞれ立ち上がり、各々の持ち場や休憩室へと戻っていく。
「ヴぁー、ダメだぁ、こんがらがったぁ……」
甲板中央部に残るのは、理解的にも物理的にもぐだぐだに絡まってコテンと倒れ付す我らが樹精霊さまと、
「アネさん、意外と不器用なんだなー……」
「……言ってやるな。誰しも向き、不向きはある」
本日非番の見習いコック、アルフ。そして自由時間に入っていた本日の講師役のエディー、この三人だ。
「べ、別にリリィちゃん縄とか要らないし! 自前の蔦とか蔓で全部解決するしー!」
どこをどうしたら結び目作成の講義で、自分自身がこうも縄に絡まれるのか。身動きを制限された状態で、リリィがじたばたと甲板上を転がりながら、負け惜しみを発する。
「その蔦も蔓も、終端で何かを固定するためには結びの知識が必要だろう」
「エディーの兄貴の言うとおりだと思うわー、僕も」
縄まみれになったリリィに二人の青年が近づき、溜息交じりに手を伸ばす。
「い、良いんだよぅ! 船長も言ってたじゃない。適材適所、仕事の分担、大事だって! あ、ちょ、縄解いてくれるのは嬉しいんだけど優しく、優しく!」
「うわ、すっげぇ硬結びが出来上がってる。さっき出来てなかったのに何だコレ」
エディーとアルフが絡まったロープの結び目を解き、緩めて行く。何をどうしたらこうなるのかとばかりにキツく硬い結び目が出来上がっており、エディーもアルフも先ほどまでのリリィの縄結び講義の散々な成果を思い出し、渋く眉根を寄せた。
「エディーの兄貴、これもうバッサリ切っちゃった方が早くない?」
「……ダメだ。この長さのロープを無駄にしたら、流石に船長が怒る」
「あ、いたいたいた痛い痛い痛い、ちょっ、エディーくん、食い込んでる食い込んでるっ!」
結び目を解く為にロープを掴み、引いて余白を捻出する。当然結び目近くに余裕を取れば、他の部位は締まるワケで。リリィが喚き、甲板をタップとばかりに僅かに動かせる右手でばしばしと叩く。
そこでふと、エディーが何かに気づいたように手を止め、離し、同様にアルフにも手をロープから離させる。
「えうー……って、あれ。解いてくれないの?」
結び目が残ったまま手を離した二人。そんな彼らに顔を向け、上目遣いで見上げてリリィが首を傾ぐ。即ちコレはアレか、面倒になったからホーチプレイと言う奴だろうか。
「……いや、良く考えれば抜けれるだろう、リリィ」
「え、抜けれるの? って兄貴、え、何、何なの?」
エディーが溜息を吐いてかぶりを振れば、アルフの肩に両手を置く。一歩をアルフと共に下がれば、一人理解の追いつかないアルフを回れ右させ、そして自身も回れ右をしてリリィから背を向ける。
「えっ。……あっ、あーあー、そっか、それもそうだっけ」
そんな二人の挙動に目をぱちくりさせたリリィ。数瞬遅れてエディーの言葉の意味に気づけば、そうだった、と言う風に頷いて――
「んしょ、っと――二人共、振り返っちゃダメだからねー」
しゅる。パサ。衣擦れの音と、ロープが甲板上に落ちる音。そんな僅かな音と共に、エディーとアルフの背後でリリィのからかうような言葉が零れる。
「え、何、なんなの? ――え?」
衣擦れの音に思わず反射的に振り返りそうになるアルフの横顔を、目を伏せ溜息を吐いたエディーが片手のアイアンクローで引き留める。――振り返るなって言っただろう。
「んー……良し! もういいよー、こっち向いても」
もぞもぞと服を着脱する気配をしばらくさせてから、リリィが二人の青年へ声を投げる。その言葉にバッ、と勢い良く振り返ったのはアルフで、
「――縄抜けしてるし!? どんな手品使ったのさアネさん」
まさか服を脱いでスペースを作って、などといった手段ではあるまい。というかロープの下から脱衣する方が難易度がはるかに高い。結び目が残ったままのロープと、エメラルドグリーンの長髪を風にそよがせ靡かせるリリィを交互に見比べ、アルフが驚愕の表情で目を丸くする。
「リリィは精霊。そして精霊は本来実体を持たない――つまりは、そういう事だ」
リリィの足元に落ちているロープと白衣を拾い上げ、白衣をリリィに差し出しながらエディーが淡々と答えを紡ぐ。リリィは差し出された白衣を受け取りながら、エディーとアルフに笑顔を向けて
「そういうことっ。一度実体化を解いて縄を抜け出してー、そしてまた実体化して脱げた服を着なおしましたっ!」
どやぁ。満面の笑顔で自身の縄抜けを自慢しながら、リリィが両手で白衣をバタバタさせる。そうして裾を広げた白衣を背に翻し、両手を袖に通して再装備。
「アッ、ハイ。思ったより単純だった……」
タネも仕掛けもアリアリでした。ある種期待を裏切られた想像外の返答に、アルフがリアクションに困って視線を逸らす。
「そんなワケで。――次は負けない」
……結び目相手に雪辱を誓うリリィ。両手を自身の襟に差し入れ、白衣の内側から外側へ髪の毛を掬い出して、髪のほつれを解くため軽くかぶりを振る我らが樹精霊サマ。
「まあ、今回出来なかったの、アネさんだけで――」
じとりとした視線をリリィから向けられ、あわてて口を閉ざして視線を逸らす。アルフが逸らした視線の先では、エディーが我関せずとロープの結び目をただただ解いている。
「次こそは、次こそはリリィちゃん、ちゃんと結べるようになるもん」
「なら、先に解き方だけでも練習しておくと良い」
ぐ、と拳を握って決意を固めるリリィに、ならば、と言う風にエディーがいまだ幾つか結び目の残るロープを差し出す。
「えっ」
「スリップノット、リーフノット、シープシャンクの結び目を残してある。解いてみると良い」
たじろいでロープの受け取りを逡巡するリリィに、ずい、とエディーがロープを押し付ける。そもそもリリィが絡ませたロープである。だったら後始末もリリィがするのが本来、当然といえば当然ではあるのだ。
「……うぅ。次回っていつさ、今さ。やってみ――うわっ、ぷ!?」
渋々と言った感じでエディーの差し出すロープを受け取り睨むような視線を落とした所で、予告なく一陣の風が吹き抜ける。甲板を撫でるように通り過ぎる風は船尾楼の緑をサワサワとそよがせ、甲板上に残る彼、彼女らの服裾をなびかせ掻き混ぜていく。
「わっ、あー、もう」
リリィの長い緑髪が風にさらわれ、乱れて広がる。ロープを持たぬ方の片手、手櫛で撫で付けるようにして髪を背中に流すも、それもまた惰性で流れる風がもてあそぶように持ち上げる。
実体化を一度解いた際、結わって居た緑髪が解けた事で、今のリリィは風が吹くたびに緑髪が揺れ踊る。
「――……」
一度目を伏せたエディーが懐に手を入れ、リリィの背後に歩み寄る。そしてそっと懐から小奇麗な髪櫛を取り出せば、両手を掲げて――どうするか、と言う風に、無言の問いを傾ける。
「あ、うん――お願い。えへへ、また三つ編みにしてくれる?」
そのエディの挙動に対して、リリィは嬉しそうな笑顔を零し、背筋を伸ばして直立不動の体勢を取る。
「……編み終わるまでに全部の結び目が解けなかったら、減点だな」
「はぅっ!? え、ちょ……あわわわわわ!」
リリィの髪を櫛で梳き始めるエディと、慌てて手元のロープと格闘を始めるリリィ。そして――
「……んじゃ、僕は厨房の方に戻りますかねー」
そんな二人を見て、くすりと小さく笑いを零して背を向け、言葉通りに厨房の方へと歩き出す、アルフ。
――今日も帆船【リリィ・マルレーン】の航海は平和です。
お疲れ様でした。