第94話 事情聴取3
メリナから受け取ったラベンダー水と美容液の瓶を開けて、香りを嗅いだり、底の方に僅かに残った数滴を光にかざしてみたり、手に取ってみたりとじっくりと調べていた治癒師が、何かに気づいたように驚愕の表情を浮かべた。
そして、ごくり、と喉を鳴らし、信じられないものを見たように告げる。
「こ、これは…これはもしかして、“女神の恵み”では?!」
さすがは“薬草の聖地”のあるローベの地で治癒院に所属する治癒師だ。
希少な薬草である“女神の恵み”はほとんど市場には出回らないため、普通の人ならばまず気がつかない。
しかし、瓶に残ったわずか数滴の香りなどから、これが“女神の恵み”だと気づいた。
治癒師の言葉に、マリーは“ぱぁぁぁぁ!”と笑顔になると、咄嗟に「わああ! さすが治癒師の先生!!」と言いかけてハッとする。
(そ、そういえばわたし、シモンズさんに、“薬草の聖地”のこと、他の人に話していいかどうか確認してなかったよ!…ど、どうしよう!!)
慌てたマリーは、ばっと音がする勢いで両手で口を押さえる。
…が、手遅れ感は半端ない。
(うわあ…なんですぐに確認しておかなかったんだよ! わたしのばか! うぅぅっ…治癒師の先生! そう! そうなんです!これは “女神の恵み”なんですよ! しかもこれは、“薬草の聖地”産のラベンダーだし、おまけにパワスポ特別効果付きなんです! …って、今はまだ言えないけど〜〜〜〜)
マリーが一人で百面相のようにクルクルと表情を変えながら悩んでいると、隣に座っていたメリナが答えを引き継いだ。
「え? “女神の恵み”? そうなんですか? 私たちはラベンダーって呼んでます! ね、マリーちゃん!」
そのままのことしか知らないメリナにとってはフォローでも何でも無かったが、マリーは内心でメリナに大感謝だ。
そして、渡りに船とばかりに拳を握って力いっぱい同意する。
「そ、そうなんです!!」
(ナイスフォローだよ、メリナちゃん! そういえばそうだった! 宿のみんなは、ラベンダーが、“薬草の聖地”で採れた“女神の恵”のことだって知らないんだったよ! ってことは、わたしも良く知らないことにすればいいよね!ふふふっ、わたしってば天才!)
実はオリバー支配人やジェニーが、ラベンダー=“女神の恵”だと知っていることを知らないマリーは、自分の中の正解を見つけてほっと胸を撫で下ろすと、メリナに向かって(メリナちゃん、ありがとう!)の気持ちを込めて、頷きながらニッコリと微笑んだ。
「…そうなのですか…。見たところ、こちらに使われている薬草は、大変希少な薬草の様にも見えたもので…おかしいな…わずかながら残るこの香りは間違いなく“女神の恵”だと思ったのに…いや、でも、あのような希少な薬草が簡単に手に入るなど考えられないか…」
目の前に正解があるのに、答えが違った。まるでそんな風に戸惑う治癒師に、再びメリナが答えた。
どうやらメリナは、マリーに頷きながら微笑まれたことを、「この場の返答を任された」と理解したようだ。
「その薬草は希少なんですか? それなら違いますよ! だって、この薬草は、わたしが働いているやどり木亭のお庭にたくさん植わってますから!」
「えっ?」
「この薬草は、やどり木亭のお庭にたくさんありますから、きっと言ってるそれとは違うと思います!」
「…庭、ですか?」
「はい! あ、正確に言うと、宿の庭って言っても、作業場と寮のある方のお庭なんですけど。 そこにマリーちゃんが作った薬草園があって、このラベンダーとか、他にもたくさんの薬草が植わってるんです。凄いんですよ!」
「に、庭だって? そんなことが?! やはり私が間違っているのか?これは“女神の恵”ではない? いやしかし、この香りは間違いなく“女神の恵”のはずなのだが…」
治癒師が口の中でブツブツと小さな声で呟いているがマリーのところまでは聞こえない。
「その薬草園は、マリーちゃんが毎日お世話をしてるんですけど、凄いんですよ! マリーちゃんが『えいっ!』ってするとキラキラキラって金色の光が雨に成って降り注ぐんです。とっても綺麗なんですよ!」
「は…?」
治癒師の反応に気を良くしたのか、すごいでしょう? と言わんばかりの得意気な表情でメリナがそう続けた。
すると、それまで黙って聞いていた侯爵夫人も会話に加わる。
「まあ! そんな素敵な薬草園があるの? それに金色の雨ってどんなものなのかしら」
「もうとっても綺麗なんですよ! 緑いっぱいの薬草園の中で、金色に輝く光が雨のように降って、それがキラキラして。太陽の日差しがあるとまたそれもとっても綺麗だし! 」
「それは是非、わたくしも見てみたいわね」
「水やりはマリーちゃんの毎朝の日課なので、宿にくれば見れると思いますよ! 薬草園の収穫を手伝っている子供たちも、私たち従業員もそれを見るのを楽しみにしてるんです!」
和気藹々と話が盛り上がるメリナと侯爵夫人をよそに、治癒師は一人考えこんでいた。
(いったい、何がどうなってるんだ…)
目の前の少女から話を聞いていた治癒師の頭の中は大混乱である。
(いやいや、待て! まずは落ち着くのだ)
しかし、治癒師が混乱するのも無理はない。“女神の恵み”などの希少な薬草は、治癒院でもなかなか見る機会がない。王都の治癒薬院本院でポーションなどの薬類に処理されたものを見かけるくらいだ。
それなのに、そうかもしれない薬草が、普通の宿の商品として使われているかもしれない、その事実だけでも信じがたいことなのだ。
(いや、でも、この香りは“女神の恵み”のはずだ…)
ベテランの枠に入るこの治癒師はこれまでに数多くの治癒を行ってきた。遠い昔の研修時代には、“女神の恵み”の実物も見たことがある。それに、ポーションや薬に加工されたものも扱ったことがあるのだ。それに、“女神の恵み”には独特の香りがある。触れる機会が少ないとはいえ、自分が“女神の恵み”の香りに気づけないなど、そのようなことがあるわけがないのである。
(しかし、『庭で』だって? …それならこれは違う薬草なのか? …いや、しかし…)
本来、“女神の恵み”をはじめとした希少な薬草類は“薬草の聖地”などの限られた場所でしか育たない。
しかも、そういう場所には採取には入れる人も限られている上、採取された場所から一度摘み取られれば、それ以外の場所では決して育つことがないのだから。
それなのに、少女は『宿の庭でマリーが育てている』と言っていたではないか。
(しかも、金色の、雨…?)
金色の雨については、治癒薬院本院に残されている聖女に関する書物に書かれている。
治癒薬院本院だけでなく、治癒院で働く癒薬師、治癒師、薬師たち、そのほとんどの者たちは少なからず聖女に尊敬と憧れを持つ。そのため、聖女に関する書物にも大抵の者が目を通すのだ。その中で、 「聖女が辺り一面に金色にきらめく雨を降らせる」 この話は本院だけでなく治癒院でもよく知られる話だった。
(いったい、これはどういうことなのだ? いや、しかし、今はまだこの薬草が“女神の恵み”であることも確定はしていないが…)
そう考えながら、治癒師は自分が見落としていた大きなことを思い出してハッとした。
(そうだ! 侯爵夫人の命を救った癒しの力…!)
治癒師は、目の前にラベンダーという、自分たちが“女神の恵み”と呼んでいる希少な薬草があるかもしれないという可能性に驚いたあまり、さっきの不思議な力のことが薄れてしまっていた自分に気づいたのだ。 ピンク色のお仕着せを纏うマリーという少女。この少女がつい先ほど、自分の目の前で見せた強力な癒しの力のことを。
少女は、治癒魔法と薬草の相乗効果などと言っていたが、そんなことがありえないことは治癒師本人が一番理解していた。
侯爵夫人の怪我は外から見るよりも体の中の損傷が遥かに酷く、まさに瀕死の状態で、自分の治癒魔法では手の施しようがなかった。
光魔法の適性と大きな魔力を持つ癒薬師でも、治癒は難しいと思われるほどの状態だった。
しかし、目の前の少女は、それほどの損傷をほんの数秒で治癒、しかも完全に回復させたのではなかったか…。
(はっ! そうだ! あの時も金色に輝く光が!)
そして、その不思議な、強力な癒しの力を少女が使った際、少女自身がキラキラと金色に輝く光を纏いながら、さらにその光を放っていたことを。
そうなれば、そこから導き出される答えは、ただ一つ…。
「…聖女…」




