春日野の 浅茅が上に 思ふどち
春日野の 浅茅が上に 思ふどち 遊ぶ今日の日 忘れえめやも
(巻10-1880)
春霞 立つ春日野を 行き帰り 我は相見む いや年のはに
(巻10-1881)
春の野に 心延むと 思ふどち 来し今日の日は 暮れずもあらぬか
(巻10-1882)
ものしきの 大宮人は 暇なれや 梅をかざして ここに集へる
(巻10-1883)
春日野の浅茅の上で、気が合う仲間が集まって遊ぶ、今日という日は忘れることはできないでしょう。
春霞が立つ春日野を行ったり来たりして、私たちはお互いにながめましょう、何年も繰り返して。
春の野に心をゆるやかにさせようと思う仲間が集まって来た今日という日は、暮れないで欲しいと思うのですが。
大宮人たちとは、暇な人たちなのでしょうか。梅の花を髪にさして、この春日野に集まって来ているのですが。
三首続けて、野遊びの楽しさを詠いながら、四首目で皮肉のような冗談のような歌。
そんな皮肉とも冗談ともつかない歌を詠みながら、その当人も春日野に来て遊んでいると思う。
ほど良く酔った官僚たちの戯れ歌と思うけれど、なかなか楽しい四首と思う。




