筑波山に登りし歌
筑波山に登りし歌一首 短歌を并せたり
草枕 旅の憂へを 慰もる 事もありやと
筑波嶺に登りて見れば 尾花散る
師付の田居に 雁がねも 寒く来鳴きぬ
新治の 鳥羽の淡海も 秋風に 白波立ちぬ
筑波嶺の 良けくを見れば
長き日に 思ひ積み来し 憂へは止みぬ
(巻9-1757)
※師付:筑波山東麓。常陸国府(現石岡市)の西郊外。
※新治:筑波山西北。現下野市・真壁郡・西茨城郡の一部で現代の新治とは別の地。
反歌
筑波嶺の 裾廻の田居に 秋田刈る 妹がり遣らむ 黄葉手折らな
(巻9-1758)
旅の憂いを慰めることができるかもしれないと、筑波山に登り眺めていると、
尾花が散る師付の田には、雁が飛来していて、寒々しい声で鳴いている。
新治の鳥羽の湖は、秋風を受けて白い波が立っている。
私は、筑波山のこの風景を気に入ってしまった。
そして長い間の旅でたまってしまった憂いも、無くなってしまった。
筑波山の嶺のふもとで、稲刈りをしている娘に贈りたいので、黄葉を手折ろうと思っている。
これも高橋虫麻呂の作。
故郷を遠く離れ、見知らぬ地へ旅すれば、どこかしら憂いやストレスもたまる。
そんな時に、高橋虫麻呂は一人で、筑波山に登ったのだと思う。
歌で判断する限り、それほどの絶景とは思えないけれど、高橋虫麻呂にとっては、何か感じるものがあったのかもしれない。
どこか、故郷の風景にでも、似通った部分があったのか。
憂いから解消された虫麻呂は、黄葉を手折って、稲刈りをする娘を誘おうと詠う。
誘われた筑波の娘にとっては、見慣れた黄葉より、都からの洒落た物が欲しかったと思うけれど、それ以上は野暮になるので、ここまでにする。




