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我妹子が赤裳ひづちて植ゑし田を
我妹子が 赤裳ひづちて 植ゑし田を 刈りて収めむ 倉無の浜
(巻9-1710)
百伝ふ 八十の島みを 漕ぎ来れど 粟の小島は 見れど飽かぬかも
(巻9-1711)
右の二首は、或いは云わく、「柿本朝臣人麻呂の作なり」といふ。
※倉無の浜:所在未詳。大分県中津市角木の海岸説あり。
※粟の小島:所在未詳。山口県東南部説、瀬戸内海の小島説あり。
私の可愛い妻が赤裳を泥につけて植えた田ではあるけれど、刈り取って稲を収めようとしても、倉が足りないほどの、倉無の浜なのです。
数え切れないほどの多くの島を漕いできたけれど、粟の小島は実に素晴らしく、見飽きることがありません。
二首とも、土地褒めの歌。
特に「倉無の浜」は、「倉無」という珍しい名前に興味を持ったようだ。
倉が何も無いというわけではなく、倉が足りなくなるほど収めきれないほどの稲が収穫できる、その意味での土地褒めの歌。
ただ、柿本人麻呂自身が、九州まで出向いたかどうかは、全く不明。




