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我が背子と 二人見ませば いくばくか
藤皇后の、天皇に奉りし御歌一首
我が背子と 二人見まば いくばくか この降る雪も 嬉しからまし
(巻8-1656)
※藤皇后;光明皇后。(天皇は聖武天皇)
私の愛しいあの君と二人で見るならば、どれほどか、この降り続く雪もうれしく見られるでしょうけれど。
降り続く雪に寄せて、不在の夫を思う歌。
聖武天皇は、天平十二年(740)の十月二十九日から、東国巡行の旅。
その十二月十五日に山城の久邇を京と定めるなどして、平城京には不在。
この歌の詠まれた時期は明確ではないけれど、とにかく光明皇后と聖武天皇の別離の時期。
聖武天皇の東国巡行の原因の一つは、藤(光明)皇后のいとこの藤原広嗣の乱。
実は反感を持たれていた民間出身の光明皇后は、その一族の一人の反乱で、天皇が都を離れて彷徨のたびに出てしまった。
そんな苦しい思いの中、頼れる可能性のある人は、夫である聖武天皇しかいない。
そんな辛さを思いやりながら、再びこの歌を読むと、また感慨も異なってくる。




