酒杯に 梅の花浮かべ 思ふどち
大伴坂上郎女の歌一首
酒杯に 梅の花浮かべ 思ふどち 飲みての後は 散りぬともよし
(巻8-1656)
和せし歌一首
官にも 許したまへり 今夜のみ 飲まむ酒かも 散りこすなゆめ
(巻8-1657)
右は、酒は官に禁制して称わく、「京中閭里に集宴すること得ず。但し、親に親しみて一人二人飲楽することは聴許す」といふ。これに縁りて和せし人、この発句を作りき。
※閭里:村里、または村民。「閭」は村落の門の意味。
酒杯に梅の花を浮かべて、気持ちの通じ合う同士で、酒を飲んだ後は、梅は散ってもかまいません。
お上もお許しのことなのです、今夜限りしか飲むことができない酒ではありません。
ですから、梅の花は、決して散ってはなりません。
坂上郎女が親族を梅花の宴を開催した時の歌。
当時の政府から、宴会自粛令でも出ていたらしい。
おそらく天平四年(732)七月五日の宴会自粛令に関わるもの。
尚、天平九年五月十九日、天平宝字二年(758)二月二十日にも出されている。
発令の理由は、天候不順による農作物の不作、餓死者などの増加。
さて、坂上郎女の歌に和した「親しい人」の名前は記されていない。
何故、記さなかったか、それは不明。
やはり宴会自粛令に遠慮したのだろうか。
こんな時代から「自粛警察」は、存在していたのかもしれない。




