554/1385
大伴家持と坂上郎女の会話
大伴家持の、姑坂上郎女の竹田の庄に至りて作りし歌一首
玉鉾の 道は遠けど はしきやし 妹を相見に 出でてこそ 我が来し
(巻8-1619)
大伴坂上郎女の和せし歌一首
あらたまの 月立つまでに 来まさねば 夢にし見つつ 思ひぞ我がせし
右の二首は、天平十一年己卯の秋八月に作りしものなり。
道のりは遠いのですが、お懐かしい貴方にお逢いしたくて、出かけてまいりました。
月が変わったというのにお越しになられないので、毎夜貴方の夢を見ては、心配していたのです。
平城京の大伴家持の屋敷から、耳成山北東の竹田の庄までは、約20キロの距離。
尚、家持は、この年の6月に妾が子供を残して死去。
翌月になっても、その悲嘆は消えなくて、坂上郎女の竹田の庄に行く気持ちの整理がつかなかったのか。
姑の坂上郎女としては、「事情」を知った上で、愛しい甥の家持が悲嘆に苦しむことを心配していたのか。
また、家持の正妻坂上大嬢(坂上郎女の実娘)は、どんな思いで、二人の会話を聞いたのか、そんな詮索も生まれてくる。




