ほととぎす 来鳴きとよもす 卯の花の
式部大輔石上堅魚朝臣の歌一首
ほととぎす 来鳴きとよもす 卯の花の 共にや来しと 問はましものを
(巻8-1472)
右は、神亀五年戊辰、大宰師大伴卿の妻大伴郎女、病に遇ひて長逝しき。
時に、勅して式部大輔石上朝臣堅魚をして大宰府に遣はし、喪を弔ひ、并せて物を賜はしめたまひき。
その事既に畢りて駅使と府の諸の卿大夫等と、共に記夷城に登りて望遊せし日に、乃ちこの歌を作れり。
※式部大輔石上堅魚朝臣:勅使。歌はこの一首のみ。三位以上の高官の祖父母・父母・妻の喪に遭った際は、奏上し勅使が派遣される規定があった。この時大伴旅人は正三位中納言。
※記夷城:大宰府西南8キロ。佐賀県との境の山。城塞が築かれており、現在も基山の名前が残る。
太宰帥大伴卿の和せし歌一首
橘の 花散る里の ほととぎす 片恋しつつ 鳴く日しそ多き
(巻8-1473)
式部大輔石上堅魚朝臣の歌一首
ホトトギスが飛んで来て、その鳴き声を響かせております。卯の花の連れ合いとして、咲く時期にあわせて来たのですかと、聞いてみたいと思うのです。
右の歌は、神亀五年(728)戊辰に大宰師の大伴旅人の妻の大伴郎女が病に伏して亡くなった時に、朝廷は石上堅魚を使者として大宰府に遣わして弔わせ、旅人に贈り物を与えた。
この歌はそのことが済んだ後、石上堅魚が駅使や大宰府の官人らとともに記城の城に登って遠望を楽しんだ時にこの歌を詠んだ。
太宰帥大伴卿の和せし歌一首
橘の花がしきりに散っていく里のホトトギス。
このホトトギスは、散った花に恋い焦がれながら、鳴く日が多くなっているのです。
勅使は妻を亡くした旅人に対して暗に同情を寄せる。
ホトトギスは、卯の花の咲く時期に来て鳴く。
しかし、連れ合いの卯の花が存在しないので、寂しく思って鳴き騒ぐのかと。
それに対する旅人は、橘を歌に詠む。
橘の花も、卯の花と同様に、ホトトギスの取り合わせの景物。
そのことを踏まえつつ、妻を亡くした悲しみを率直に歌う。
やはり人の不幸という厳粛な事実については、歌も率直で、言葉遊びなどはしない。




