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春霞 たなびく山の 隔れれば
大伴家持の、坂上大嬢に贈りし歌一首
春霞 たなびく山の 隔なれれば 妹に逢はずて 月そ経にける
(巻8-1464)
右は、久邇の京より奈良の宅に贈りしものなり。
春霞がたなびく山が隔てているので、愛しい貴方に逢うことができず、月が替わってしまいました。
天平十二年(740)九月三日、藤原広嗣が九州筑前で朝廷に叛旗をひるがえし、それを恐れたのか、聖武天皇は東国の諸所を巡り始める。
同年十二月、時の右大臣橘諸兄の別業の地、山城国の久邇に達し、そこを都とした。
尚、大伴家持は内舎人として、供奉している。
久邇京は天平十六年閏正月、天皇が難波に行幸するまでは、主都だった。
さて、久邇京と奈良京は、鹿背の山をはさみ、直線距離では10キロ程度。
「これほど近くに戻ってきたのに、春を一緒に楽しめない」
家持も宮仕えであるので、簡単には逢いに行けない。
そんなもどかしさを詠む。




