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万葉恋歌  作者: 舞夢
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芳野にして作りき

神さぶる 岩根こごしき み吉野の 水分山を 見れば悲しも

                      (巻7-1130)

※水分山:吉野上の千本の上方、青根が峰の前方にある山

※悲しも:ここでは光景に引かれて緊張するの意味。

神々しく、大きな岩が立ち尽くす、み吉野の水分山を見ると、心が震えるほどに引き締まるのです。


皆人の 恋ふるみ吉野 今日見れば うべも恋ひけり 山川清み

                      (巻7-1131)

大宮人の全てが恋焦がれるみ吉野に、今日来て見ますと、なるほど恋焦がれるのも当然と思うのです。実に山も川も清らかなのですから。


夢のわだ 言にしありけり うつつにも 見て来るものを 思ひし思へば

                      (巻7-1132)

※夢のわだ:吉野の宮滝付近の象川が吉野川に注ぐ深淵。「わだ」は湾曲した水辺をいう地形語。

夢のわだの夢とは、言葉だけの憧れでありました。しかし、もはや夢ではありません、今現実にこちらに来て見ているのです。本当に長い間、見たいと思い続けてきましたけれど。


皇祖の 神の宮人 ところづら いや常しくに 我かへり見む

                      (巻7-1133)

※ところづら:「いや常しくに」の枕詞。やまいもの一種。ところの蔓。根茎の苦みが薄れる冬に掘って食す。その蔓が長く伸びる意味を使う。

神代から大君に代々仕えてきた大宮人たち、その大宮人たちと同じように、私たちも永遠にいつまでもここに訪れて、このみ吉野を見ることにいたしましょう。


吉野川 川と柏と 常盤なす 我は通はむ 万代までに

                     (巻7-1134)

吉野川の岩と柏が変わることがないように、私たちも変わることなく、いつの代までも通うことといたしましょう。



この吉野を詠んだ五首は、吉野を訪れた宮廷人一行の宴席におけるものと考えられている。

先の三首が現実に訪れて見た吉野を賛美し、四首目で将来にかかわる。

最後の歌にて、万代までもと、総まとめを行う。


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