月を詠みき(3)
海原の 道遠みかも 月読の 光すくなき 夜はふけにつつ
(巻7-1075)
ももしきの 大宮人の 罷り出て 遊ぶ今夜の 月のさやけき
(巻7-1076)
ぬばたまの 夜渡る月を 留めむに 西の山辺に 関もあらぬかも
(巻7-1077)
この月の ここに来れば 今とかも 妹が出で立ち 待ちつつあらむ
(巻7-1078)
大海原を渡って来る道が遠いからなのでしょうか。月の光は少なく、夜は更けてしまいます。
大宮人が退出して宴を楽しむ今宵の月は、なんとさわやかなことでしょうか。
夜空を渡っていく月を何とかして留めたいのです。西の山辺に関所がないものでしょうか。
この月がこの位置に来れば、今にも来てくれるかと、彼女は家の前に立ち、私を待っていることでしょう。
この四首は海を東に、山を西に控える海浜での月を詠む宴での歌らしい。
当時、月は海を支配し、海上を渡ってやって来るという思想があった。
その中で、一首目は、月の光が、まだ少ない状態を大海原を渡る道が遠いからと、理由をつける。
二首目は、ようやく月がさわやかに照らし始め、仕事を終えた大宮人が宴会を楽しみだした様子。
三首目は、月が西に向かいだしたのを惜しみ、留めたい。そのために西の山辺に関所があって欲しい、現実には無理なことであるけれど、それほどの月は美しく宴も楽しいの意をこめる。
四首目は、実は月の位置で女の家に通う約束をしてあった男が、宴会を退席できないため、ちょっとした恨み歌。いや、見栄を張った戯れ歌の可能性もある。
それにしても、月の特定の位置を、逢瀬の時とするなど、現代人とは異なる時間感覚。少なくとも、時計に支配されていない生活を送っているようだ。




