山部赤人 あぢさはふ 妹が目離れて(1)
辛荷島を過ぐる時、山部宿祢赤人の作りし歌一首、短歌を幷せたり
あぢさはふ 妹が目離れて しきたへの 枕もまかず 桜皮巻き 作れる舟に ま楫貫き 我が漕ぎ来れば 淡路の 野島も過ぎ 印南つま 辛荷の島の 島の間ゆ 我家を見れば 青山の そことも見えず 白雲も 千重になり来ぬ 漕ぎたむる 浦のことごと 行き隠る 島の崎々 隈も置かず 思ひそ我が来る 旅の日長み
(巻6-942)
※辛荷島:兵庫県室津の沖合に浮かぶ三つの小島からなる。
※あぢさはふ:語義未詳
愛する妻と別れて、その手枕もなく、桜皮を巻いて造った船に、楫を左右に通して、私が漕いで来て、淡路の野島の先も過ぎて、印南つまや辛荷の島の間から、我が家のある方角を見ると、青い山のどこにあるのかも見えず、白雲が千重に重なって来た。
漕ぎまわる浦ごとに、行き隠れる島の岬ごとに、どんな場所でも忘れることなく思い続けて来た。
旅の日数も長くなっているので。
赤人は、大和を立ち、難波津から、桜の皮を巻いた粗末な船で、瀬戸内海を西へ向かっていたと思われる。
おそらく、地方の国衙に赴任する途中の歌と思われる。
上級の役人であれば、原則はなるべく陸路になるけれど、山部赤人は中級以下、少々危険であっても、船旅になったのかもしれない。
妻の住む都を離れて行く寂しさと、船旅の不安が、素直に詠まれた歌と思う。




