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万葉恋歌  作者: 舞夢
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名寸隅の 船瀬ゆ見ゆる

三年丙寅の秋九月十五日、播磨国印南野に幸す時に、笠朝臣金村の作る歌 并せて短歌を幷せたり


名寸隅の 船瀬ゆ見ゆる 淡路島 松帆の浦に 朝なぎに 玉藻刈りつつ 夕なぎに 藻塩焼きつつ 海人娘子 ありとは聞けど 見に行かむ よしのなければ 大夫の 心はなしに 手弱女の 思ひたわみて たもとほり 我はぞ恋ふる 船楫をなみ 

                                (巻6-935)

反歌二首


玉藻刈る 海娘子ども 見に行かむ 船楫もがも波高くとも

                                (巻6-936)

 

往き巡り 見とも飽かめや 名寸隅の 船瀬の浜に しきる白波

                                (巻6-937)


神亀3年(726)秋9月15日、聖武天皇が播磨国印南野に行幸なされた時に、笠朝臣金村が作った歌一首と短歌



名寸隅の船着場から見える、淡路島の松帆の浦では、朝なぎの頃には玉藻を刈り、夕なぎの頃には藻塩を焼く海人の娘たちがいるとは聞いておりましたけれど、見に行く手だてもありませんので、ますらおの雄々しい心を示すこともなく、たわやめのようにがっかりして、うろうろするばかりで、私は恋い焦がれております。

何しろ、舟も櫓もありませんので。


玉藻を刈り取る海人の娘たちを見に行くための船や櫓があったらと思います。

たとえ、波が高いとしても。


往きも帰りも、どれほど見ても見飽きることなどあるでしょうか。名寸隅の船着場の浜にしきりに打ち寄せる白波は。



名寸隅(なきすみ)は、明石市西端の魚住町付近と推定されている。

尚、題詞には神亀3年秋9月となっているけれど、続日本紀では聖武天皇の播磨国印南野行幸は同年10月7日の出発となっているので、誤記と思われる。


聖武天皇の行幸に付き添い、元気よく海で仕事に励む娘を褒め、船着き場の白波も褒める。

集団旅行で、可愛い女の子が海に入って元気よく働いている姿を見て、

「あの子、可愛いよね、お近づきになりたいよね、船と楫があって漕げれば、波が高くても遊びに誘うのに」と詠む。

しかし、天皇に付き添う集団の旅行なので、抜け駆けは厳禁、手段も何もないので、見ているだけになる。

旅行中の人々の気を紛らわすような、笑わせるような歌なのかもしれない。


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