大伴旅人の書簡
大伴淡等謹みて状す
梧桐の日本琴一面 対馬の結石山の孫枝なり
この琴、夢に娘子に化て曰はく、「余、根を遙島の祟巒に託け、韓を九陽の休き光に晞しき。長く煙霞を帯びて、山川の阿に逍遙し、遠く風波を望みて、雁木の間に出入す。唯百年の後に、空しく溝壑に朽ちむことを恐れき。偶良匠に遭ひ、削られて小琴と為る。質麁くして音の少しきを顧みず、恒に君子の左琴とならむことを希ふ」といひき。即ち歌ひて曰はく
如何にあらむ 日の時にかも 声知らむ 人の膝の上 わが枕かむ
(巻5-810)
僕詩詠に報へて曰はく
言問はぬ 樹にはありとも うるはしき 君が手馴れの 琴にしあるべし
(巻5-811)
琴の娘子答へて曰はく
「敬みて徳を奉はりぬ。幸甚幸甚」といひき。片時にして覚き、即ち夢の言に感じ、慨然として止黙するを得ず。故に公使に附け、聊かに以って進御するのみ。
謹状不具
天平元年十月七日 使に附けて進上し、謹みて中衛高明閣下に通ず。
謹空
※中衛高明閣下:天皇の警護にあたる長官の藤原房前を讃えた表現。
大伴旅人が謹んで言上いたします。
梧桐の大和琴一面 対馬の結石山の孫枝であります。
この琴が、私の夢の中で、娘の姿となり、語りました。
「私は、梧桐として、遥か遠い島の高い山の上に根を張り、太陽の心地よい光に幹をさらしてまいりました」
「そして、常に、靄や霞を帯びては、山や川のあちらこちらに心を遊ばせ、風により立つ波を遠くに眺めながら、雁や木々と交わるだけで埋もれておりました」
「また、100年の後には、ついには朽ち果て、谷間に落ちてしまうのかと、ただそれだけを心配しておりました」
「そうしたところ、幸運にも、素晴らしい匠に出合うこととなり、削られて小さな琴になることができました」
「質が悪く、音も貧弱であることを顧みず、常に君子の手元に置かれる琴となりたいと、願っているのです」
そして、謡ったのです。
いつの日のことになるのでしょうか、私の声色を理解してくれる人の膝の上を、私が枕にする日は。
琴の娘が答えました。
「貴方様からのお言葉、ありがたく承りました。うれしいことです、うれしいことです」
私はすぐに目を覚ましましたが、夢で聞いた言葉に驚きましたので、そのまま黙っている心にはなりません。貴方様の所へ往く官使に特別にこの琴を託して、お手元にお届けいたします。
(謹んで記しましたが、未だ、意を尽くしておりません)
天平元年10月7日、使いに託して奉り、謹んで中衛府高明閣下にお便りいたします。謹んで余白といたします。
大宰府に居る大伴旅人が平城京の藤原房前に琴を贈ったときに添えた書簡の文章と二首の歌。
日本琴:舶来の箏や琴とは異なり、六弦の小型の和琴。
孫枝:本生の幹を切った後に伸びる新枝。
旅人が房前に贈ったこの書簡の日時は天平元年10月7日。
この年2月には長屋王の変が発生し、藤原四兄弟が朝廷の実権を牛耳っている時期。
大宰府に左遷状態の大伴旅人が、伝統ある大伴家の棟梁として、新興貴族でありながら朝廷の実権を握ってしまった藤原家との関係改善のために、頭を下げて尽力、藤原房前に琴を進呈したと思われる。




