子等を思ひし歌一首
子等を思ひし歌一首 序を并せたり
釈迦如来、金口に正しく「等しく衆生を思ふこと、羅候羅の如し」と説きたまひ、また「愛すること子に過ぐることなし」と説きたまひき。
至極の大聖すら、尚し子を愛する心有り。
況むや、世間の蒼生の、誰かは子を愛せざらめや。
瓜食めば 子供思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ いづくより 来りしものそ まなかひに もとなかかりて 安眠し寝さぬ
(巻5-802)
反歌
しろがねも こがねも玉も 何せむに 優れる宝 子にしかめやも
(巻5-803)
子供たちを思う歌 序を併せた。
釈迦如来は、その気高く黄金に輝く口で、まさに「人々のことを全て等しく、我が子の羅候羅と同じように大切に思う」と説かれ、また「我が子への愛に勝るものはない」と、お説きになられた。
至高の大聖人ですら、やはり我が子を愛する心が有ったのである。
ましてや、世間一般の人に、我が子を愛する気持を持たないものがあるのだろうか。
瓜を食べれば、我が子のことを思う。
栗を食べれば、なおさら偲んでしまう。
本当に、どこからやって来たのか。
我が子の顔が目に浮かんで来て、なかなか眠ることができない。
銀であっても黄金であっても、珠玉であっても、それが何であろうか。
どんな宝も我が子には、全く及ばない。
永く日本人に愛されてきた山上憶良の子等を思う歌。
こん素晴らしい歌を詠んでくれた山上憶良に、ただ感謝したい。
 




