夕闇は 道たづたづし
豊前国の娘子大宅女の歌一首 未だ姓氏を審らかにせず
夕闇は 道たづたづし 月待ちて いませ我が背子 その間にも見む
(巻4-709)
夕闇という時間は、道がぼんやりとしていて不安なのです。
もう少し月が出るのをお待ちになり、お出かけください。
私は、それまでの間だけでも、貴方と一緒にいたいのです。
珍しい夕闇の別れの歌。
女は帰る男を、夕闇は道が危ない、月が出るまでと、引き留める。
宴席で客人に贈った歌との説もある。
とにかく、もう少し、一緒にいたいと、せがむ。
夕闇は、日中と夜の境にして、魔物が出没するというような、俗信もあったようだ。
ただ、夜とて、危険がないだけではない。
ただ単に、引き留めるだけの、口実に過ぎない。
なお、源氏物語にも、この歌が見える。
光源氏が、体調の優れない女三宮の部屋を訪れ、あれこれ物語をした後、夕方になったので、着物を着なおしながら、こう言って自分の部屋に戻ろうとする。
『さらば、「道たどたどし」からぬほどに』
すると、女がこう応じる。
『「月待ちて」ともいふなるものを』
さて、この時点で、女三宮は、柏木との不義密通の子(薫)をおなかに宿していた。
しかし、源氏も女三の宮も、その不義密通をあからさまには、お互いにしない。
作者紫式部は、結局は紫上のところに戻ろうとする光源氏と、それを不安を感じながら見送るしかできない女三宮の場面で、この歌を使った。
ほとんど名誉のためだけに、女三宮を正妻とした光源氏、無防備にも柏木に犯された女三宮の軽率さ、宴会歌として紫式部がこの歌を考えていたのなら、相当なアイロニー、「結局、光源氏と女三宮は、結ばれない、結ばさせない、単なる愛のない調朝廷安定という宴での男女である」を、辛辣に表現しているような気がする。




