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秋風の 末吹きなびく 萩の花
七月五日、治部少輔大原今城真人の宅に於て、因幡守大伴宿祢家持を餞して宴せし歌一首
※天平宝字二年(758)七月五日(太陽歴8月13日頃)、大伴家持が因幡守に任命され、その送別会での歌。
(ほぼ左遷と見られている)(藤原仲麻呂は家持を嫌っていた)
秋風の 末吹きなびく 萩の花 ともにかざさず 相か別れむ
(巻20-4515)
右の一首は、大伴宿祢家持の作りしものなり。
秋風が、その葉末を吹きなびかせる萩の花を、ともに髪にかざして遊ぶことも出来ないまま、お別れすることになろうとは。(思ってもみませんでした)
藤原仲麻呂専横時代、大伴家の力を削ぐ意図を含んだ大伴家当主家持の左遷。
(因幡国は、官位からすれば、左遷相当になる)
反発できない家持は、都から放逐される悔しさと哀しさを、この歌に詠み込んでいる。




