二月、式部大輔中臣清麻呂朝臣の宅に於て宴せし歌十五首(7)
興に依りて各高円の離宮の処を思ひて作りし歌五首
※高円の離宮:聖武天皇の離宮。
高円の 野の上の宮は 荒れにけり 立たしし君の 御代遠そけば
(巻20-4506)
右の一首は、右中弁大伴宿祢家持。
※高円の野の上の宮が、かなり荒れてしまいました。聖武天皇の御代が遠い過去のことになってしまいましたので。
高円の 峰の上の宮は 荒れぬとも 立たし君の 御名忘れめや
(巻20-4507)
※高円の嶺の上の宮は、確かに荒れていますが、聖武天皇の御名を忘れる人など、ありえないと思うのですが。
右の一首は、治部少輔大原今城真人。
高円の 野辺延ふ葛の 末つひに 千代に忘れむ 我が大君かも
(巻20-4508)
※高円の野辺をつたう葛は長いけれど、千代の先に忘れられてしまうような、そんな聖武天皇なのでしょうか。(それはありえない)
右の一首は、主人中臣清麻呂朝臣。
延ふ葛のの 絶えず偲はむ 大君の 見しし野辺には 標結ふべしも
(巻20-4509)
※高円の野辺に延びて広がる葛のように、いつまでも絶えることなく、聖武天皇をお慕いしましょう、聖武天皇がご覧になられた野辺に、標縄を張っても。
右の一首は、右中弁大伴宿祢家持。
大君の 継ぎて見ずらし 高円の 野辺見るごとに 音のみし泣かゆ
(巻20-4510)
※亡き聖武天皇の御霊が、今もご覧になられているはずの、高円の野辺を見るたびに、声をあげて泣いてしまうのです。
右の一首は、大蔵大輔甘奈備伊香真人。
最初は、梅や磯の松を詠み、主人中臣清麻呂を褒めたり、返したりしていたけれど、宴会の最後に本音を詠み合う。
つまり、藤原仲麻呂と孝謙天皇の強権的な政治を嫌い、聖武天皇の過去の時代を賛美する。
高円の離宮が荒れていることを持ち出して、人々の精神が変わってしまったと嘆いたり、いや、人々の本心は、そうではないと返してみたり。
簡単に言えば、反主流派の「昔は良かったの」酒場の愚痴になる。




