初春の 初音の今日の 玉箒
二年の春正月三日、侍従、竪子、王臣等を召して、内裏の東屋の垣の下に侍せしめ、即ち、玉箒を賜ひて、肆宴したまひき。
時に内相藤原朝臣の勅を奉りて宣く、「諸王卿等、堪ふるに随ひ意に任せ、歌を作り、併せて詩を賦せ」とのりたまひき。
仍ち詔の旨に応へて各心緒を陳べて歌を作り、詩を賦しき。
未だ諸人賦したる詩、併せて作歌を得ざるなり。
※天平宝字二年(758年)の、正月三日、天皇(孝謙天皇)は侍従、竪子、王臣らを召して、内裏の東屋の垣下に侍らせ、玉箒をお与えになり宴をお開きになられた。
その時、内相藤原朝臣(藤原仲麻呂)が天皇の仰せを伝え、「諸王・卿等はよ、それぞれ自分の能力に応じて自由に歌を作り、詩を作れ」と言われた。
そこで、仰せに応えて、各人思いを述べて歌を作り、詩を作った。〈諸氏の作った詩や歌は入手できなかった〉
初春の 初子の今日の 玉箒 手に取るからに 揺らく玉の緒
(巻20-4493)
初春の初子の今日の玉箒は、手に取るだけで、ゆらゆらと揺れ、音を立てる玉の緒なのです。
※揺れる玉の緒に、家持は生命力の輝きを見ている。(それを与えた天皇賛美の歌でもある)
右の一首は、右中弁大伴宿祢家持の作なり。但し、大蔵の政に依りてこれを奏するに堪へざるなり。
※正月三日であるが、大蔵省勤務の家持は、その政務が忙しくて、出席が出来なかったらしい。(歌は前もって作っていたようだ)




