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二十三日、式部少丞大伴宿祢池主の宅に集ひて飲宴せし歌二首
二十三日、式部少丞大伴宿祢池主の宅に集ひて飲宴せし歌二首
※二十三日:天平勝宝八歳(756)11月23日。大原真人今城が大伴宿祢池主への深い思いを詠んだ歌。(家持は欠席らしい:橘奈良麻呂の乱で意見が相違し、不参加説がある)(池主は乱に積極派、家持が消極派)
橘奈良麻呂の乱: 天平勝宝 九歳年 (757年)、 橘奈良麻呂 が 藤原仲麻呂 を滅ぼそうとし、 天皇 の廃立を企てたが、密告により露見して未遂に終わった。
初雪は、千重に降りしけ 恋しくの 多かる我は 見つつ偲はむ
(巻20-4475)
奥山の しきみが花の 名のごとや しくしく君に 恋ひわたりなむ
(巻20-4476)
右の二首は、兵部大丞大原真人今城。
初雪は、幾重にも降り敷いて欲しい。恋しくて仕方がない私は、見て偲ぼうと思うので。
山の奥深くに咲くしきみの花のように、私は、しきりに貴方のお顔を見たくなることでしょう。
男性が男性に対する敬愛の歌。
(現代の性愛倫理とは異なる)




