1358/1385
族を喩(さと)し歌一首 短歌を并せたり(2)
磯城島の 大和の国に 明らけき 名に負ふ伴の男 心つとめよ
(巻20-4466)
※磯城島の:大和にかかる枕詞。
剣太刀 いよよ磨ぐべし いにしへゆ さやけく負ひて 来にしその名ぞ
(巻20-4467)
※剣太刀:磨ぐにかかる枕詞。
右は淡海真人三船が讒言に縁りて、出雲守大伴古慈斐宿祢、任を解かゆ、ここを持ちて、家持この歌作る。
大和の国で、輝かしい名誉を背負って来た大伴の男たちは、心を強くして、その務めを全うするように。
さらに心を磨きあげるべきである。大伴家の名誉は、遥か昔から、輝きを帯びて続いて来たものであるから。
※「淡海真人三船が讒言に縁りて、出雲守大伴古慈斐宿祢、任を解かゆ」は、聖武天皇崩御の八日後、「朝廷を誹謗した」との理由によるもの。
古慈斐は、62歳(従四位上)大伴家の長老の一人。
家持より位階が四階高く、年齢も23歳上。
讒言の黒幕は、大伴氏の弱体化と、藤原氏(及び本人)の権力強化を狙う藤原仲麻呂がいた、との説がある。




