十八日、左大臣の、兵部卿橘奈良麻呂朝臣の宅に宴せし歌三首
十八日、左大臣の、兵部卿橘奈良麻呂朝臣の宅に宴せし歌三首
※十八日:天平勝宝七歳(755)5月18日。
※橘奈良麻呂:左大臣橘諸兄の子。橘奈良麻呂の変を起こし、断罪される。
なでしこが 花取り持ちて うつらうつら 見まくの欲しき 君にもあるかも
(巻20-4449)
右の一首は、治部卿船王。
※船王:舎人皇子の子。藤原仲麻呂の謀反に加担し、隠岐に流罪となる。
この日の時点では、橘家に親しかった。(やがて裏切る)
我が背子が やどのなでしこ 散らめやも いや初花に 咲きは増すとも
(巻20-4450)
うるはしみ 我が思ふ君は なでしこが 花になそへて 見れど飽かぬかも
右の二首は、兵部少輔大伴宿祢家持の追ひて作りしものなり。
なでしこの花を手に取って、しっかりと見るように、いつも拝見していたい貴方なのです。
続いて、大伴家持が追和した下二首。
貴方様のお庭のなでしこの花は、散ることなどないと思います。今咲き始めた花のように、どんどん花を増やすとしても。
素晴らしい人と、私が慕う貴方は、なでしこの花のように、見ていて飽きることなどありません。
大伴家持も、この時点では、橘家に親しかった。
兵部少輔なので、橘奈良麻呂の部下でもあった。
どのような経緯、時期に追和したのかは不明。
大伴家持は、反藤原仲麻呂派なので、藤原仲麻呂に隠して詠んだかもしれない。




