五月九日、兵部少輔大伴宿祢家持の宅に集飲せし歌四首
五月九日、兵部少輔大伴宿祢家持の宅に集飲せし歌四首
※五月九日:天平勝宝七歳(755)五月九日。朝集使として上京していた大原真人今城(上総に帰る)の送別会を、大伴宿祢の家で開いた。
我が背子が、やどのなでしこ 日並べて 雨は降れども 色は変わらず
(巻20-4442)
右の一首は、大原真人今城
ひさかたの 雨は降りしく なでしこが いや初花に 恋しき我が背
(巻20-4443)
右の一首は、大伴宿祢家持
我が背子が やどなる萩の 花咲かむ 秋の夕は 我を偲ばせ
(巻20-4444)
右の一首は、大原真人今城
即ち、鶯のなくを聞きて作りし歌一首
うぐひすの 声は過ぎぬと 思へども 染みにし心 なほ恋ひにけり
(巻20-4445)
右の一首は、大伴宿祢家持
(家持様の)お庭のなでしこは、毎日のように雨に降られているのですが、色が何も変わらず、実に見事なものです。
確かに雨が降り続いておりますが、なでしこの花は(雨を受けて)、まるで初めて咲いた時のように、実に初々しい、貴方もそのなでしこの花のように、本当に恋しく思います。
家持様のお庭の萩の花が咲く、秋の夕暮れ時には、この私を忘れずに思い出してください。
鶯の鳴き声は、既に過ぎてしまったと思っていたのですが。その美しい鳴き声が心に染みてしまったので、いっそう恋しく思ってしまうのです。
大原真人今城、まず家持の庭のなでしこ(家持が一番好んだ花)を褒める。
雨が降り続いても美しい色が変わらない、と褒め、自らの変わらない愛慕も込める。
家持は、なでしこの美しさと、大原真人今城のへの愛慕さをリンクさせ、上総に帰っても、いつまでも恋しく思うだろうと詠む。
大原真人今城は、家持の返歌に敬意を示し、秋になって萩の花が咲いても、夕方には私を偲んで欲しい(自分のことを飽きないで欲しい)と読む。
家持は、鶯の美しい鳴き声と、大原真人今城への変わらぬ思いをリンクさせ、心に沁みついた愛慕の気持ちは変わりようなない、と読む。
送別会で、二人が深い友情関係を詠んだ、そうとらえるのが妥当と思われる。




