三月三日、防人を検校せしときに、勅使と兵部の使人等と、同じく飲宴して作りし歌
三月三日、防人を検校せしときに、勅使と兵部の使人等と、同じく飲宴して作りし歌三首
※三月三日:天平勝宝七歳(755)
※検校:検閲し、慰労すること。
朝な朝な 上がるひばりに なりれしか 都に行きて 早帰り来む
(巻40-4433)
右の一首は、勅使紫微大弼安倍沙弥麻呂朝臣。
毎朝、天高く舞飛ぶ、ひばりになりたいと願います。
ひばりになれば、都に行ってすぐに戻って来られるでしょうから。
諸国から、徴用された防人群が難波津に集結。
その出発に任地への際しては、朝廷は侍従を派遣し、慰労の詔勅を下す定め。
通常は、内舎人が派遣されて来るけれど、この年は、それ以上の高官が派遣されて来た。(朝廷の緊迫感を示すものらしい)
ただ、この後は、防人群に対する検閲し、慰労の後に開いた、役人たちの宴会の歌。
この歌を詠んだ、安倍沙弥麻呂朝臣は、都に仕事を残していたらしい。
だから、都に早く戻って。また、ここに早く帰って来たい、だから、ひばりがうらやましいと詠む。
いかにも、役人らしい、自分の事しか考えない、無神経な歌。
防人の苦しさ、悲哀に対する思いやりなど、何も歌われていないのだから。




