大君の 命畏み 磯に触り
大君の 命畏み 磯に触り 海原渡る 父母を置きて
(巻20-4328)
右の一首は助丁丈部造人麻呂 ※伝未詳。
大君の命令を恐れ畏み、磯にぶつかっては海原を渡って行くのです。父母を故郷に置いたままで。
八十国は 難波に集ひ 船かざり 我がせむ日ろを 見む人もがも
(巻20-4329)
右の一首は足下郡の上丁丹比部国人。※足下郡:小田原市周辺。伝未詳。
数多くの国から難波津に集まり、乗る舟を飾ります。ただ、この私には出発する日に見送る人などいないのです。
難波津に 装ひ装ひて 今日の日や 出でて罷らむ 見る母なしに
(巻20-4330)
右の一首は、鎌倉郡の上丁丸子連多麻呂。※鎌倉市の出身。伝未詳。
難波津にて船飾りを華やかに仕上げた今日、船出をして、この地から去るのです。
見送る母もいないのに。
この三首は、よく似ている。
難波津に集まり、(船も飾り)出航。
しかし、見送る人が誰もいない。
それを詠むのだから、好き好んで徴兵されたのではない、がよくわかる。
防人全員が、関東出身なので、見送りの近親者が誰もいないことも、頷ける。




