山村に幸行しし時の歌二首
山村に幸行しし時の歌二首
※山村:平城京東南7キロ。
先太上天皇、陪従の王臣に詔して曰く「それ諸王卿等、よろしく和する歌を賦して奏すべし」とのりたまひて、すなはち御口号びて曰はく、
※先太上天皇:元正天皇。(家持が越中在任中天平20年:748に死去している)
あしひきの 山行きしかば 山人の 我に得しめし 山つとぞこれ
(巻20-4293)
人里離れた山中を歩いていたところ、山人が私にくれた山の土産なのです、これは。
舎人親王、詔に応へて和へ奉る歌一首
※舎人親王:天武天皇皇子
あしひきの 山に行きけむ 山人の 心も知らず 山人や誰れ
(巻21-4294)
人里はなれた山に行かれたという山人の気持ちがよくわかりません、山人とは、誰なのでしょうか。
この「山人」が「仙人」を意味するとの解釈もあり、先太上天皇が、山から土産(何かは不明)を持ちけり、仙人からの物と言い、舎人親王が「仙人とはいかなる人か」と聞き返すとしたほうが、自然な解釈かもしれない。
右は、天平勝宝五年の五月に、大納言藤原朝臣の家に在る時に、事を奏すによりて請問する間に、少主鈴山田史土麻呂、少納言大伴宿祢家持に語りて曰く、「昔、この言を聞く」と言ひて、この歌を誦ふ。
右の歌は、天平勝宝五年の五月に、少納言大伴宿祢家持が、大納言藤原朝臣(藤原仲麻呂)の家にいる時に、政治に関して仲麻呂に伺い問うのを待つ間に、居合わせた(部下の)少主鈴山田史土麻呂から語り聞いた歌という。




