越前國の掾大伴宿祢池主の来贈せし歌三首(1)
今月十四日を以て、深見村に到り来たり。かの北の方を望拜す。常に芳徳を念ふこと、何の日に能く休まむ。兼ねて隣近なるを以て、忽ちに戀を増す。加以、先の書に云く「暮は惜しむべし。膝を促くること未だ期あらず」といふ。生別の悲しきかも。 それまた何をか言はむ」といふ。紙に臨みて悽断し、状を奉つること不備なり。
三月一五日に、大伴宿祢池主
今月十四日に深見村に着き、その北の方を遥かに眺めました。常に貴方の芳徳を念うのですが、いつの日になったら、その思いは止むのでしょうか。まして任官の地が隣近であることから、いつも尊敬する気持ちが増しています。それに加えて、先の手紙にて述べられるには「過ぎ行く春の風情は名残惜しいもので、貴方と共に風景を楽しむことを果たしていない」とあります。私も。貴方にお会えできないことを悲しんで嘆いているのです。 そして、それをどのように表しましょうか。紙に向かって悲しみが極まります。便りを差し上げる、その内容が上手ではありません。
三月一五日に、大伴宿祢池主
古人の云わく
月見れば、同じ国なり 山こそば 君があたりを 隔てたりけれ
(巻18-4073)
あの月を見れば、国は同じなのです。山だけが、貴方がおられる場所と隔てているのです。
深見の村は、越前国加賀の群所属(現石川県河北郡津端町付近)。(家持がいる越中国府とも近い)
池主は何らかの業務で、深見の村に来たらしい。
そこで、同族(大伴家)の家持が恋しくなった。
それで、手紙をやり取りしたようだ。




