天平二十年の春三月二十二日、左大臣橘家の使者、造酒司令史田辺福麻呂~(1)
天平二十年の春三月二十二日、左大臣橘家の使者、造酒司令史田辺福麻呂、守大伴宿祢家持の館に饗せられき。ここに新歌を作り、併せて古詠をうたひ、各心緒を述べき
奈呉の海に 舟しまし貸せ 沖に出でて 波立ち来やと 見て帰り来む
(巻18-4032)
波立てば 奈呉の浦みに 寄る貝の 間なき恋ぞ 年は経にける
(巻18-4033)
天平二十年(748)年三月二十二日、左大臣橘家(橘諸兄)の使者、造酒司令史田辺福麻呂が越中国守大伴宿祢家持の館で饗応を受けた。その際に、新しく歌を作り、また、古歌を詠い、各人が思いを述べた。
奈呉の海に乗り出したいので、誰か、船を貸していただけないか、沖合まで行って、波が立ち寄せて来るかどうか、見たいのです。
波が立つたびに、奈呉の入江に絶えず寄せて来るように、絶え間ない恋に明け暮れているうちに、年月が経ってしまいました。
二首とも、田辺福麻呂の歌。
一首目は、海を見たことのない奈良の人の驚き、好奇心を表す。
二首目は、越中国守大伴家持への、ねぎらい。本当は都で、いつでも見たいけれど、なかなかあ、それもかなわなかった。そして年月が経ってしまった、その思いを詠む。




