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柿本人麻呂 夏野行く
夏野行く 小鹿の角の 束の間も 妹が心を忘れて思へや
(巻4-502)
夏の野を歩いている小鹿の短い角のような、ほんの短い束の間であっても、愛する貴方の想いを忘れることなどできやしない。
小鹿は、毎年春に角が落ちて生え変わる。
そのため、夏の小鹿の角は、生えはじめで、実に短い。
その短さを、時間的な短さ(束の間)に結びつけている。
しかし、緑鮮やかな、太陽の光も眩しい夏の野を歩く小鹿の短い角から、相慕う女性の心を一瞬でも忘れないという心を詠むというのは、なかなかできない。
恋の叙情に結びつける光景としては、意表をつく表現と思う。
全般的に感じるのは、初々しさで、知り合った当時の新鮮な恋心。
少しの間離れていても、逢いたくなってしかたがない。
だから、小鹿の短い角のような、短い束の間であっても、想いが心を離れない。
詠まれてしまった小鹿には、何のことやら・・・なのだと思うけれど。




