吹芡刀自の歌二首
吹芡刀自の歌二首
真野の浦の 淀の継橋 心ゆも 思へや妹が 夢にし見ゆる
(巻4-490)
川の上の いつ藻の花の いつもいつも 来ませわが背子 時じけめやも
(巻4-491)
真野の浦の淀みにかかる継橋のように、ずっと私のことを思ってくれるからでしょうか。
夢の中に愛しい貴方が浮かんで見えるのです。
※真野の浦:現兵庫県西宮市周辺と推定されている。
川の周囲で咲く、いつ藻の花のように、いつもいつも、お出でなさいませ。
いらして悪い時などは、ありません。
作者吹芡刀自
ふきのとじ
は、未詳。刀自は年輩の女性への敬称、あるいは一家の主婦の意味。
一首目は、男性側の立場で、貴方を夢に見るのは、あなたが私のことを思い続けてくれるからという、古代独特の恋愛観。
二首目は、その男性の訪れを待つ女性の立場で、来てもらって困る時などありません、いつでもいらしてくださいとの意味。
そうなると、この二首は作者吹芡刀自
ふきのとじ
が、男女両方の立場で詠んだ相聞歌となる。
ただ、作者作者吹芡刀自
ふきのとじ
に、相当に通ってくる夫への想いが強くなければ、このような歌を作らない。
夫側の立場で歌を詠むということも特別な印象があるけれど。それ以上に二首目の「いつも」の連続が、すごい。