閑話:淀んだ空気
SIDE:クリスvsエリノア
普段、体の周りを取り巻いている空気。
そこに抵抗を感じる者はそうそういないだろう。
だが、一たび体を動かせば、風が生じて抵抗を感じる。それはより速く体を動かすほど、そして力強く動かすほど、大きく分厚い壁となる。
鈍重な者には感じられぬ空気の壁。それは達人となれば如何なるものとなるだろうか。
自由が欲しい。
エリノアは常にそう思っていた。
孤児だった彼女は幼少期にとある組織に拾われる。その組織は特別秀でたものもなく、そして特色があるわけでもない。ライプニッツ領の小さな街で、賭博と薬と娼館の元締めをしている。どこにでもある普通の後ろ暗い組織だ。
その組織で、彼女に与えられた任務は『闘争』だった。
彼女と同じように、組織は多くの孤児を拾い、育てる。
その事実だけを知ると、その組織を優しいと思ってしまうかもしれない。だが、そこに優しさなどない。それは慈善事業などではなく、ただの自己防衛の一環だ。
生物の殺傷を旨とする流派、黒々流。
孤児たちはそれを学ばされ、そして使い潰される。
ある者は隣町の敵対組織との抗争に。ある者は内部の粛正のために。
そしてある者は、手打ちのための手土産として無駄に命を散らされた。
そこに自由などない。
エリノアの同期も、僅かながら親しくなった友ですらも、使い捨てにされて次々に消えていく。エリノア自身も、無謀な任務に度々駆り出された。
意味のない戦い。どちらが勝とうとエリノア自身には全く関係が無く、そしていつの間にか終了している。抗争の終了を知らぬこともしばしば。その結果もよくわからず、そして自らが戦った意味すら感じられない。
ただひたすら続く、明日すら保証されない暗い日々。目に見えないその粘稠質の空気は、エリノアを静かに確実に蝕んでいった。
そしてとうとう、エリノアは独りになった。
無茶な活動をしていた組織が、どこかの古い組織によって潰されてしまったのだ。
末端の彼女がそれを知ったのは、壊滅してから二日ほど経ってのことだったが。
生き残った実感はある。だが、彼女はそれを喜ぶことも出来なかった。
彼女は生き残った。しかしもちろん、彼女に特別な力があったわけではない。
ただ、必死だった。彼女が出来る、最大限の延命。それを模索し続け、使い潰されないように必死に戦った。使い捨てにされぬように、自らの力を組織に示し続けた。それだけのことだ。
だが、組織が消えた今、自分に何ができる? そう考えてしまうことは特別おかしなことではないだろう。
もはや人を殺さなくてもいい。命令を受けて、人を傷つけなくてもいい。
しかし彼女の手は、それしか知らないのだ。
人を殺せば、食事ができる。人を殺せば、寝床が手に入る。
だがその保証は無くなった。
自由を得た。『仕事』に従事していた間、渇望していた自由を。
だが、その自由の使い方を彼女は知らない。
もとより保証されていなかった明日。組織が潰えた今、その明日を迎える術すら、彼女は知らなかった。
そこに差し伸べられた手を、彼女は振り払うことが出来なかった。
街道を通行する者を襲い、そして金品を奪う。
もともと着飾ることをしない恰好をさらにわざと汚し、声をかけてくる男性を待ったこともある。
嫌悪感から、その男性たちはすぐに口も利けず動けぬものにしてしまったが。
そんな日々。組織にいた時と変わらない。いいや、組織にいた時の方がまだマシだった日々を送っていた彼女に、ついに転機が訪れる。
街道をゆく二人の少女と、彼女らを連れた一人の少年。
ただ、お腹が減っていた。
結果は惨敗だった。
走り寄るその太ももに感じた鋭い衝撃。
僅かに怯んだその瞬間、目の前で感じた爆発。
まるで火薬玉を目の前で弾けさせられたような、その爆風と炎に吹き飛ばされ、したたかに背中を打つ。
態勢を整えようと身を僅かに起こした頃には、ミーティア人の少女たちの手により、刃物が突き付けられていた。
その冷たい目。組織にいた時からよく知っている。
降伏か死か。選ばされる者はまだマシだ。まだ生き残れる可能性が残っているのだから。
だが、その目は違う。自分が何を言うまでもなく、この喉に刃が突き立てられるのだろう。
そう諦めたエリノアの腕の力が抜ける。
人生を戦い続けてきた。
無防備な態勢をとるなど、生まれてから今までエリノア自身覚えがなかった。
抜けた力に、少し空気が軽くなった気がした。
諦観に染まるエリノア。
だが、死は訪れない。少女たちの手の小剣は微動だにせず、そして、少年の歩み寄る足音がする。
「待って。話くらい聞いてあげよう」
「ご主人様、でも……」
内心エリノアは苦笑した。
話を聞く。ならば、先ほどの攻撃は明らかに過剰なものだ。自らの反応があと少し遅ければ、その攻撃が僅かに早ければ、きっと自分は死んでいた。もしくは、死なないまでも大きな怪我を負っていただろう。
見れば、偽装されてはいるようだが仕立ての良い服。傍らの女性二人も含めて、身綺麗にしている。
最近交流の始まったミーティア人だが、まだまだライプニッツ領でも忌避されているというのに。なのに、彼らは同じような服を纏い、そしてわだかまりも何もなさそうに見受けられる。
甘い考えに、少女たちの手には上質な装備。
なるほど、自らとは対極の者たちだったのだ。
恵まれ愛されて育った強者に負ける。なんと皮肉なことだろうか。
その少年を見返せば、やはり、優しい世界で育ったのだろう。仕事仲間とは全く異質な、温かな雰囲気だ。
「で、俺たちを襲って何をしようとしていた? 教えてくれよ」
「……路銀や食料、欲しかった」
エリノアにとっても意外なことだったが、その口が素直に開き、そして無意識に近い感覚で言葉が吐き出される。何を自分は考えているんだろう。どうにかして、この場を何とかする方法を考えなければいけないのに。
「野盗か」
「ご主人様、盗賊はこの領では死刑だったはず。殺してしまいましょう」
納得する少年に、髪の長い少女が物騒な言葉を吐く。その言葉に、エリノアはむしろ安心してしまった。
そう、そんな末路がこんな仕事をしている自分にはお似合いだ。どうせ殺すのならば、早く。そう思ってしまうほどに。
だが、幸か不幸かエリノアの期待は裏切られる。少女たちを制し、少年は自らの前に立つ。
そして、手が差し伸べられる。
見上げれば、日が透けるような鮮やかな金色の髪。黒くボサボサに広がった自らの髪の毛とは対極のものだ。
「こんなことしてないで、俺と一緒にもっとでっかいことをやろうよ」
思わず握り返してしまった、優しい言葉に手触りの良い手。
レヴィンと名乗ったその男性を取り巻く空気は、ふんわりと纏わりつく、とても心地の良いものだった。
それから数年後。運命の日が訪れる。
イラインを護送中の要人を襲う。主レヴィンの身を立てるため、その護衛の騎士たちに犠牲になってもらう。それがその日の仕事だった。
ルチアの発案した計画というのが業腹ではあったものの、それでも主のためになるならば、そんなことは些細なことだ。
その仕事に、自らの力を遺憾なく発揮する。
計画にあったとおり、通路の中で比較的開けた場所。傍らに商店も無く、咄嗟に身を隠せるところもない。増援が来るとしても手間取る場所であり、そして何より、奇襲に容易な場所。
騎士を排除し、それから主を待つ。心配せずとも主はすぐにここに現れるだろう。誰と戦えばいいか、それはそのときになってみないとわからないが。
「敵影!」
騎士が叫ぶ。その声に反応し、陣形が組まれる。馬車を囲むように配置された騎士たちの間隔が狭まり、それからエリノアを排除しようとまず二人の騎士が飛び出した。
敵を前にし、エリノアが、体を覆う幅の広い布を開く。
その内側に列を成すように差してある刃物。総計で五十本以上になる小剣や円月刃、金槌や鋸などは、全てがエリノアの武器だ。
常に大量の武器を隠し、持ち歩く。黒々流の者の常だった。
しかし、遅い。エリノアはそう思った。
騎士たちも武は修めているだろう。勿論、一般の者であれば相手にはならない。
けれどその動きに、エリノアを止められるほどの練度は見られない。
細い小剣を三本、指の間に挟んで構える。
騎士に振るわれる槍、それを屈んで躱し、懐に入る。
エリノアの闘気の練度であっても、闘気で強化された鎧を貫くのは出来ないわけではないが難しい。
だから、違う場所を狙う。
鎧には、どうしても関節部に弱い部分が出来る。それは鎧であれば克服が難しい欠点であり、そしてまず狙い撃つべき場所だ。
関節の継ぎ目、四肢の根元に小剣を突き入れて、動きを封じる。一人目は左右の脇と右股関節。二人目は同じく左右の腕の付け根と左股関節。
そうして動きを封じてから、蹴り飛ばして後退させる。
それからかかってくる騎士に同じことが繰り返された。次々とそれは驚くほど簡単に行われ、そしてついには扉に到達する。これで、馬車の扉を開けば準備は完了だ。
敵の妨害は無かった。
これが罠だと読まれていたのだろうか。それとも、情報自体が伝わっていなかったのだろうか。その辺りの判断はまたルチアに任せるとして、今は主の目的を果たそう。
扉を開ける腕に力を籠める。中の閂ごと開くように、ゆっくりと。
そこに感じた衝撃。おそらく、体ごとぶつかってきた。
エリノアは転がりつつ態勢を整える。どういうことだ。主ではない。状況を把握しようと気配のなかったはずのそちらを見た。不可解さに眉を顰める。
そこに立っていた騎士が槍を捨て、そしてゆっくりと剣を構えた。
一人残った騎士。その甲冑の中にいたのは、月野流師範代、クリス・ウィートン。
同僚の騎士が身動きを取れず見守る中、ただ一人静かに歩み出ていた。
(まったく、面倒な仕事でやす)
グスタフに与えられた任務は、騎士団への潜入、そして、襲撃者の撃退。どちらも簡単な仕事だと聞いてはいた。たしかに、潜入はグスタフの根回しもあり、クリス自身、何をせずともいいくらいの簡単なものだ。
けれど、もう一つは甚だ面倒なものだ。クリス目の前の少女を見据えて、内心騙されたという気持ちで満ち溢れていた。
(先ほどの動きに装備。それらから見れば流派は黒々流。打ちあう月野流との相性は最悪。しかも動きも悪くない……)
摺り足で距離を詰めながら、現状の分析を試みる。そこにはどう考えても悪いものしか浮かばなかったが。
(さて、どうしやすか……。一応、危なかったら離脱してもいいと言われていやすが……)
その言葉に込められた意味。言葉にした以上、逃げたところでグスタフからのお咎めは無いだろう。けれど、その後の扱いがどうなるかは想像に難くない。
月野流存続のため、あの老人との繋がりは切るわけにはいかない。
(ま、やるしかないですな)
腹が決まる。そしてそれと同時に、目の前の少女が動いた。
黒々流の発祥は定かではない。
というよりも、明かされていないのだ。当主は存在を見せず、各地にいるそれぞれの指導者が個々に技術を伝承している異質な流派。それでもなおそれぞれの技術が隔たりを見せず画一化されているのは、その当主が直接指導して回っているからとも、隠された綿密な連絡手段を持っているからともいわれている。
その技術の骨子は簡単なものだ。
適切な器械を正しく使い、敵を効率的に破壊する。
そのために、器械を大量に用意する。エリノアが身に着けている道具の数々は大量に思えるが、黒々流を使う者たちにしてみれば一般的なものだ。
だが、人間の手は最大でも二つしかない。その二つの手で、大量の器械を適切に操るのは効率的でもなくむしろ無意味なことともいえる。
しかしそれでも、その無意味な行為も極めれば短時間で敵を殺せるものとなる。
時間効率、そして防御をすり抜けられる手数の効率。その最大限の効果を狙い、黒々流の技術は発展してきた。
空中で物を手放せば、物は地面に落ちる。それは子供でも分かる理屈だ。
だがその落ちる時間を短くしてみればどうだろうか。
半拍で落ちる距離は、一拍で落ちる距離のおよそ半分。実際には加速度などの影響で誤差はあるが、凡そそんなものだ。では、さらにその半分の時間だったら。またさらに、その半分の時間だったら。
それを突き詰めていったとき。瞬間のうちに落ちる距離、それは零となる。
物は静止し、地面に落ちていくことは無い。
故に黒々流を極めた者は、空中に物を置く。
懐より取り出された器械のうち、不要な物を置いて有効なものを選び取り、有効な角度で振るう。
炎の中に手を突き入れる。師範の声に合わせて目の前の壁に書かれた数字に手を触れる、など。
黒々流の修練は、そのために必要な知覚速度と手足の速度の強化に重点が置かれていた。
そのため、副次的な効果として、黒々流の達人は圧倒的な反射神経と攻撃速度を持つ。本末転倒なことではあるが、もはや器械を持たずとも良いほどに、その手足は充分に兵器となっていた。
レヴィンと出会う前のエリノアの腕前は、中伝程度。
しかし、レヴィンとの訓練の成果もあり、エリノアの腕前は皆伝以上へと達していた。
そのエリノアの振るう、連撃。
侮れない。目の前の騎士の闘気を見てそう判断したエリノアは、残り二十本ほどの器械を展開する。
それを一度に空中に置き、選び取り目の前の騎士に当てていった。
広がる瞳孔。知覚速度は引き上げられ、全ての物体の動きが鈍くなる。
腕に感じる空気の粘り気は、もはや慣れたものだった。
黒々流の連撃。それを受けるわけにはいかない。
クリスは焦る。目の前の少女の動きに合わせるように僅かに後退り、それから使われる兵器を見定めて、出来るだけ最小限の動きで弾く。
黒々流は、武器を打ちあわせない。よほどのことが無ければ、鍔迫り合いをする時点でその武器を手放してしまう。それをわかっているからこそ、武器を抱えて鍔迫り合いに飛び込むという必勝型は使えなかった。
武器を弾く音は断続的なものではなく、全て連なる鐘のような音だ。
金属音が不気味に鳴り響く中、それでも的確にクリスは全ての攻撃を弾いていた。
エリノアの内心も、すぐに焦りが支配する。
どういうことだ。他の騎士とは比べ物にならないほどの腕前。他の騎士は、全て四手で排除できた。にもかかわらず、目の前の騎士に自分は攻めあぐねている。
これはまずい。そう思い、頭の中に僅かに『逃走』の二文字がちらつく。
弾かれた武器を空中で回収し、投げ上げ、また空中に置いて再利用する。その繰り返しももはや限界に近づいていた。
残りの小剣は僅か。
だがしかし、エリノアは自分の内心をさらに内心鼻で笑った。
逃げる? そんな馬鹿な。
主のため、逃走など選択は出来ない。せっかくここまでルチアがお膳立てをしたのだ。ここで自らが失敗するわけにはいかない。
主は戦う意味をくれた。使い潰されぬように懸命に働く日々。そこで見いだせなかった戦う意味を。
殺さなくてもいいと言ってくれた。殺さなくても、もう自らの居場所はあるのだと。
欲しかった言葉を与えてくれた。そんな主のために、ここで負けるわけにはいかないのだ。
エリノアは気が付いているだろうか。
自らが今、『組織』にいた時と同様、粘稠質の空気に囚われていることを。
まさに今、彼女は使い潰されようとしていることを。
相手の器械が少なくなる。これはクリスの狙いだった。
潤沢な器械があるうちは、その器械に執着は見せないだろう。だがしかし、その器械が残り少なくなったら? 手放したら最後、次弾を放てる余裕がなくなるとしたらどうだろうか。
残り三本。もはや選び取る余裕もなく、続けざまに振るわれる攻撃。
だがそれは、エリノアにとって希望でもあった。
選び取る余裕が無い。それは裏を返せば、選び取る必要が無いということだ。故に選択の時間は短くなり、振るわれる攻撃の頻度も精密さも上がる。
疲労もあるだろう。いくら豪の者でも、これ以上凌ぐことは出来まい。そう思っていた。
速度も上がり、強力になった一撃。
それをクリスは落ち着いて弾く。
馬鹿な。エリノアも一瞬慌てた。今のは躱せぬ一撃だったはずだ。意表を突き、この目の前の鈍重な男には、対処できぬ一撃だったはずだ。
月野流は、才無き者のための流派。ならば目の前のこの男に、対処できるはずがないのに。
「くぅ……!!」
初めてエリノアが吠える。残り二本。そのうち一つを振るったその攻撃に合わせて、ついにクリスが剣を打ち合わせた。
月野流は、才無き者でも鍛錬によって強者となれる。それ故、才無き入門者は希望をもって門を叩く。
才無き者でも上へと至れる。それは正しい。けれど、一つ付け加えるとするならば。
「捕まえた、でやす!!」
才ある者であれば、より上へと昇れるのだ。
小剣に感じる凄まじい圧力。
もはや剣を手放すわけにはいかない。残っているのは両手に一本ずつ持った小剣のみ。反射的にエリノアは一本を投げ上げ、両手で鍔迫り合いに応えた。
クリスの体が膨れ上がる。エリノアはそう感じた。
次の瞬間、圧力が増す。もはや堪えきれないほど、圧殺されると思ってしまうほどの。
潰される!!!
本格的に焦りがエリノアを支配する。その手は震え、全力で踏ん張らなければいけないほどの窮地。
だが、エリノアの目は絶望には染まらない。
光明は残っているのだ。投げ上げた小剣。その柄を蹴り、相手のわき腹へと突き刺す。
幸い、目の前の騎士はそちらへ警戒はしていない。ならば、いける。
腕の一本くらいくれてやる。主と同じであれば、それは誉れとなるだろう。
しかし、エリノアの思惑は外された。
「……ぐ、がっ……はっ…………!」
感じる衝撃。突き飛ばされたわけではなく、まるで天地が激しく揺れているように体が揺れた。不可解な衝撃に振り上げようとした足がたたらを踏む。
月野流奥義《虫籠》。それは、切り結んだ剣から伝える力を暴れさせ、鍔迫り合いをしている相手の態勢を強制的に崩す。戦場や命を掛けた他流試合などを除き、特に道場稽古などでは使用禁止となっている妙技である。
当然、ほとんどが月野流門下生である騎士たちにすら、見せるのは憚られる。それを使ったのは、目の前の少女への敬意。そして愛弟子への礼儀だった。
崩れたエリノアの体。クリスはその隙を逃さない。
小剣を断ち切り、袈裟懸けに少女の体に剣が侵入する。
「う、む…………」
力を込めて、命を絶つ斬撃を放つ。鎖骨を砕き、肋骨で守られた肺腑、内臓を割りながら背骨を断つ。
抵抗がなくなったことを確認し、ずるりと剣を抜くと、少女は膝から崩れ落ちた。その、胴の中身を見せながら。
倒れ伏した少女の体を見つめて、クリスは一息つく。
襲撃者の撃退。これで石ころ屋との約定は果たせたことだろう。そして、もう一つの約定も。
達成感に包まれ、馬車の中から姿を見せた姫の悲鳴は、特に気にならなかった。
ひとまずこれで良し。そう確認したクリスは、倒れた騎士たちの小剣を引き抜き、そして応急処置を施してゆく。ここからは本当の騎士たちの仕事だ。
それに、これで馬鹿弟子の溜飲も下がるだろう。
月野流剣士が、要人を襲撃した犯人を華麗に撃退した。これで、カラス殿に負けて下がった月野流の評判を、僅かにでも埋め合わせできれば。
手間のかかる弟子だ。
だが、子供とはそういうものでなければならない。向こう見ずで意地を張り、大人へとわがままを通すために万策を講じる。その程度できなければ、これから先、成長しても芽は無い。
意地があるから信念が生まれ、目標が生まれ、成長できるのだ。
だから、そんな子供の意地に付き合ってやるのも、先達であり大人である自らの役目だろう。
(そっちの方面では、うちの弟子の方が勝ってやすな、グスタフ爺)
内心、その忌々しい老人との勝負に勝った気がして、クリスのアヒル口が少しだけ吊り上がっていた。
消えゆく意識。
普通の青空のはずなのに、酷く眩しい気がする。
剣が通ってゆく刹那、エリノアは不思議に痛みは感じなかった。
ただ、感じるのは熱さ。そして、体の力が抜けていく感触。
動かせない体が崩れ落ちる。戦闘中に引き伸ばされていた間隔が、徐々に元に戻ってゆく。
そして、体が軽くなった。
(……何故…………)
エリノア自身も不思議に思った。だが、もはや空気の粘り気は微塵も感じず、自らの体の動きを遮るものの存在を彼女は感じられなかった。
ど、と倒れ伏した体に衝撃が伝わる。受け身も取れず、空気が吐き出される。
徐々に視界が狭まってゆき、騎士たちの声が聞こえる。その内容はわからなかったが。
もはや指一本も動かせない。
掠れてゆく景色。ああ、もう私は死ぬのだ。
主様、貴方の願いを叶えられずに、無為に私は死にます。
主様、ごめんなさい。
そうして最期の景色が認識できなくなりつつある中。肌に触れる感覚ももはやなく、血の匂いも味もわからなくなってきていた。
そして、最後に残ったのは、聴覚。
意識が途切れる瞬間にまで聞こえていたのは、ウィヒヒヒヒヒという、気味の悪い笑い声だった。




