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三つ首わんこ  作者: ケルベロス=ポチ
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2/3

pm 10:00

 興奮して疲れたのであろう。時間も時間だ。

 我は拘束状態から脱却して身体を伸ばした。『パパ』に身体をあずけている、眠りに落ちた幼女を見てみる。安心しきった寝顔だ。それに比べて、廃人の顔は相変わらず冴えない。


「……このままじゃな」


 廃人はつぶやいてゲームを中断した。幼き妹を抱えたまま、立ち上がり、我を見下ろして思案している。我の寝床がある幼女の部屋まで、我をどうやって連れて行こうかと考えているのであろう。

 我はドアへと近づいてやった。


(案ずるな。我もそろそろ眠気を感じているからな)


 廃人は、いま開けるよ、と苦笑していた。



 我の先導により、親子のような兄妹は子ども部屋にたどり着いた。こそこそと『妻』もついてきたため、幼女の部屋には『家族』が揃っている。我が寝床の調整をしている間に、廃人がベッドに幼女を寝かせた。体勢と掛け布団を整えるのは、母の仕事であるようだ。


 幼女の寝顔を見つめている、廃人と『妻』の距離は近い。


 肩を寄せ合うとまではいかないが、これほど近づいた光景は見たことがない。自宅療養中は知らぬが、ただの引きこもり生活になってからは初めてのことだろう。

 どうやら廃人も気づいたらしい。

 だが、今夜は遠ざかることなく、そばにいる『妻』をみていた。


「……やっぱり似ているね」


 とても静かに、廃人が初めて『家族』について語った。

 母は瞬時に『妻』となり、恥ずかしそうに身体をくねらせはしたが、その距離を損なうようなことはしなかった。いつもと違う雰囲気のなかで、嬉しそうに微笑んでいる。


「わたしの娘だもん」


「……本当によく似ているよ。幼いころの……きみに似て、とても聡い子どもだと思う。いずれなにもかも気づくだろうね……俺がパパなんかじゃないことも、俺がなにをやってきたのかも」


「あなたはパパだった。今日の、あの姿を見たらわかるよ。あなた以外にパパはいない。たとえあなたが悪魔だったとしても、この子はあなた以外の存在をパパとは認めない……あなたのことを、なにがあっても嫌いにはならないよ」


「……自信満々って顔だね」


「わたしの娘だもん、それくらいわかるよ」


「……母娘そろって、俺にはもったいない存在だな」


「そんなことない。わたしたちを受け入れてくれるのは、あなただけで……こんなふうに一緒に暮らせて、わたしは、あなたが生きる価値を見失ったことに、感謝さえしてる……。

 あなたのいったように、この子は知りたがるだろうね。パパが研究施設に隔離されていたことを知ったら、いろんな可能性を模索したうえで、最後には、わたしに尋ねるんじゃないかな。

 どうしてパパはパパじゃないの。

 どうしてママはわたしを産んだのって。

 真剣な眼差しで迫られたりしたら、わたしは正直に答えるのかな。わたしが堕胎しなかったのは、母性愛でもなく、宗教的束縛でもなく、利己的な打算なのかもしれない……パパを捕まえておくために、あなたを産んだのかもしれないって……どうだろうね。たとえ嘘をついて誤魔化したとしても、この子は疑って、わたしを問い詰めるかもしれない。

 ねえ、ママは本当に襲われたの。

 ずっとパパに会えなくて、寂しくて、打算もあって……誘ったんじゃないのって」


「……あまり驚かせないでほしいな。ポチがびっくりするじゃないか」


「ふふっ、そういう冗談がいえるくらいは回復したんだ……うん、なんだかポチが固まって、わたしたちを凝視してるような……あなたは、ぜんぜん驚いてないよね。やっぱり、被害者の一方的な説明を鵜呑みにするほど甘くはないか」


「……いろいろ考え過ぎるっていう、悪い癖があるから」


「純朴な少女に襲いかかるなんて、お父さんのイメージには合わないもんね」


「……いや、父さんには悪いけど、最初はそのまま信じたよ。想像するだけの余裕もなかったし、説明する人が他にいないんだ。しばらく会わない間に、父さんも変わってしまったんだろう。そんなふうに終わらせて……それなのに……どうだってよかったはずなのに、考えてしまう」


「変わってしまったのは、幼なじみの少女のほうかもしれない」


「……いや、もしかして父さんは、母さんに殺されたんじゃないだろうかと」


「……そこは、考えてあげてもいいんじゃないかな?」


「たしかに、息子としては死んでいない方向で考えたかった……けどね。きみを襲って妊娠までさせておいて……母さんが……深夜に酒を飲みながら、十三歳の息子を相手に組織の愚痴を語り、父さんとの馴れ初めをエンドレスで語りつづける、あの母さんが……父さんを許す……難しい話だ。父さんで新薬を試すことくらいはしかねない。

 ……きみが少女から女へと変わり父さんを誘惑したとするなら、まぁ、襲いかかるよりはハードルが下がる。過ちを犯した理由について、納得できないこともない。父さんの動機はそれでいい。けど、浮気は浮気だ。穏やかじゃないね。少なくとも、母さんの沸点は軽く越えている。これでなにもなかったら、母さんこそが別人に変貌したと考えるべきだ。

 ところが、〔あとはよろしく〕という母さんのシンプルメッセージが残っている……いつもいつも、笑顔で後始末を押し付けてきた、母さんらしいメッセージだ。平常運転としか思えない。同時に、これは母さんにとって決着のついた問題だと理解できる。

 ならば、どうして父さんの謝罪がないのか……なんの音沙汰もないのはなぜか。

 夫を殺害したにしては平常運転が不気味だけど、残念なことに在りえないとは言い切れない。また、宗旨の問題はあるにせよ、父さんが自害した可能性も捨てきれない。自害したか殺されたのなら話は簡単なんだ。死を隠蔽するために、遺書や懺悔文を母さんが隠したと考えることもできる……父さんの懺悔文や遺書もなく、残っているのは母さんのメッセージだけ……どうして父さんも母さんも、きみたち母娘について無干渉でいられるのか……」


「……お父さんが死んじゃうなんて、想像つかないよね」


「……難しいね。崖から突き落としたところで、三日後には家でワインを飲んでいそうな人だ。どうやったら始末できるのか……なにをどう間違ったら女の子を襲うのか、まったく思いつかなかったな。こんなところで想像力の限界を知るなんて……ああ、誘われたにしても難しいな。私には愛しい妻がいるとか、ヤケクソでやるもんじゃないぞ、とか言って、説教をはじめる姿しか想像できない」


「お母さん一筋だもんね。思想なんかは、正反対なのに」


「……あの人たち、離婚はしてないよね」


「うん、冷却期間が必要だって、ずっと別居中だけど……お父さんはフィールドワークに出たっきり帰ってこないし、お母さんはどこかの研究施設に引きこもって……それぞれ、仕事に励んでると思う」


「……喧嘩らしき出来事はあったわけだ」


「そうなるね」


「……父さんが原因なら、争いにはならない」


「うん」


「……きみが何者かの子どもを身篭り、俺の子どもとして育てたいといったところで、夫婦喧嘩にはならない。母さんは喜んで俺を困らせるだろう。父さんも笑って許容しそうだ。

 ……冷却期間が設けられた以上、父さんの信条に反する出来事が起こったことになる……あの二人が、愛の巣と呼んで暮らし続けた、この家を離れた……きみたち母娘を残して……そう、父さんは保護しなかった……父さんが距離をとっているのは、母さんだけじゃない……」


「そろそろ限界だと思うけど」


「ああ……結局、どれだけ頑張ってみても他の答えを見つけることができない」


「ちなみに、どういう順序で答えに気づいたの?」


「……まず最初に疑った」


「うん、その勘の良さって、あなたの才能そのものなんだろうけど、現実逃避には不便だよね。間違いと感じていることを、納得させるだけの理屈なんて、簡単には作れないもん」


「……どうしたものかな」


「どうもしなくていいよ。あなたは、まず最初に真実を突き止めて、それを証明するための理論を構築していく……今回は、どうやって気づいたの?」


「……父さんの遺伝子はどこにいったのかと思うほど、きみたち母娘は、双子のようによく似ている。最初は、そんな印象を抱くだけで終わったんだけど……この子といて、懐かしいと感じた。幼いころの、きみといた時間を思い出して……そうなって初めて、きみの説明を疑った。

 ……そう、なんだっていいのに、考えてしまう……きみやあの人たちが変わるなんて、想像することが難しかったからね。だから、真っ先に浮かんだよ。誰もなにも変わっていない可能性。俺の知ってる人物たちの、延長線上にある仮説……あの四六時中イチャイチャしかねない両親が、この家を離れるほどの因縁…………」


「中途半端じゃ、ダメなんでしょ」


「……父さんが容認できなかったのは、この子の存在そのもの……きみは、禁忌を侵したんだ」


「あっ、そこはお母さんじゃないんだ」


「母さんは優秀だけど、天才ってわけじゃない……たしかに、どれだけ低予算で成し遂げたにせよ、秘密裏にやれるだけの研究施設は必要だ。母さんが関わったのは疑いないが……技術情報を独占した組織の力を利用することなく、さらに数段上のことをやってのけるなんて、きみ以外にはありえない」


「わたしにそんなことできるわけないよ。天才のあなたについて回っていた、普通の女の子なんだから」


「……普通、あんなマニアックな会話に年下の女の子はついてこれない。天才っていうのは、父さんや母さんの研究ですら理解していた、きみのための称号だ。俺じゃない……俺は、きみに負けたくなくて馬鹿をやらかした……俺には、この子に慕われる資格がない」


「……受け入れて、くれるんだね」


「この子に罪なんてあるわけない。この子がどういった存在かなんてどうでもいいんだ。俺がわかっているのは、パパと呼ばれることを、拒絶できないでいること……俺が最低のパパであること」


「あなたが最低のパパなら、わたしは最低のママだよ」


「……禁忌の研究か」


「わたしのことも、受け入れてくれるのかな」


「……ヒトは神により、男女の営みにより自然に誕生するべきもの。禁忌とされた建前はいいさ……ただ、組織が満足のいく成果を出せずに、資金提供を終わらせた研究。たとえ魂を宿すことになっても、生き延びることは困難とされた実験……そんなものを一度きりで成功させるなんて、どんな天才であっても不可能……だからこそ父さんは、この子のそばにいることが耐えられなかったのかもしれないな……背後にある、数多くの死をみてしまう。この子に罪はないと、わかってはいても……」


「……うん」


「……何度も、死なせてしまったんだろうね」


「そう、生命の尊厳を無視した行為を、繰り返して、わたしの分身はここにいる」


「……きみが家族を求めていたのは知ってる」


「ちがう、そうじゃない。わたしが求めていたのは……わたしと仲良くしてくれたのは、あなただけで、ほんとのお兄ちゃんだったら、どんなにいいだろうって……わたしにはあなたしかいなかったのに、あなたは遠くへ行ってしまった……。

 わたしはひとり、あなたの部屋で過ごすようになって、いろんなことを勉強した。

 ときどきお母さんが教材をくれて、いろんな設定を試したりもした。

 やっぱり姉よりも妹のほうがよかったし、恋人よりも、駄メイドや新妻のほうが楽しくて、わたしは、お兄ちゃんなのに主従関係を結ぶことになって、ご主人様と呼ぶことになった兄と、最後には添い遂げて、アナタと呼ぶようになる、愛と苦悩の物語を作り上げた……あなたが長期休暇で帰省したときには、胸が苦しくてデートもできなかった」


「……思い出すのはかまわないけれど、呼吸を乱すのは控えようか。ポチが怯えてる」


「ふふっ、冗談ばっかり……いま、目を伏せられた気がするんだけど、偶然だよね?」


「……どうだろう。ポチは、なにかこう、すごく賢いというか、人間の会話をきちんと理解しているような気がする。ドアは閉めたはずなのに、いつも部屋にいるし……犬を飼ったことがないからわからないんだけど、ポチは、普通の犬でいいんだよね? なにも変なことはしてないよね?」


「うん、一般的なペットショップで売られていた、普通の子犬。この子がどうしてもって……ずっと楽しそうにパパのことを話していたのに、ポチを見つけたとたん、わんこわんこ、って夢中になって、パパにも見せてあげたいなんていうものだから、相談もなく引き取ったんだけど……ダメだったかな?」


「いや、そんなことはないよ。賢くて大人しくて、悪いことなんかひとつもない」


「なんだか、アニマルセラピーの効果もありそうな感じがするね」


「……かもしれない」


「そう、それならやっぱり、失敗だったかな……わたしは、あなたが回復することを望んではいなかった。看護設定に酔っていたことも否定はしないけれど、きっと、自分の罪を知られることが、怖かったんだよね。子どもの頃みたいに、なんでも許してもらえるとは思えなかったから……だから、わたしは感謝していた。

 あなたが苦しんでいることは、わかっていたのに……罪を犯したというなら、わたしのことも、受け入れてもらえるような気がして……いっしょに暮らすことができて、受け入れてもらえたような気がして……ずっと、このままでいられたらって、そう思って……」


「……きみが不安を抱いていることはわかってた。その不安が、罪の意識によるものじゃないこと。俺が許すかどうか、それだけを心配していることも」


「だって、ほかに方法がなかったの。わたしはお兄ちゃんでいてほしかったはずなのに、物語に夢中になって、気づいたらあなたのことをお兄ちゃんと呼べなくなっていた。

 もう元には戻れなかった。新たな設定を求めるしかなかった。

 だからパパ設定にも挑戦して、ようやくお兄ちゃんを卒業できたの。ドキドキしたの。欲求が高まって、あなたの妻であり、あなたの娘でもあり、あなたの子どもを育てる母でもある、そんな夢を思い描いたの」


「そんな妄想を実現できる才能が恐ろしいよ……そういえば、組織が研究していたのはコピー人間の完全レシピではなく、クローン体との共鳴現象だという噂があったな。感覚や感情を共有するとかで、利用目的のはっきりしない研究だったと」


「らしいね。わたしにはそんなの必要ないから、低予算で簡単にできたのかも」


「似たような妄想からはじめた研究、とは思いたくないな……しかし、必要ないという表現はどういう……いや、なんであれ、簡単といえるのは凄いことだ。恐ろしいね。きみに手を貸した母さんも相当に恐ろしい……誘導した感のある母さんには、いずれ報いを受けてもらわないとな」


「……怒ってるよね」


「……やってくれたとは思ってる。けど、俺には裁くような資格なんてない。怒るだけのエネルギーも湧いてこない。汚されたんじゃないとわかって安心したのも事実だ。父さんの始末方法を考えなくてもいい。俺の倫理観なんてその程度の代物だ。許すもなにもないさ」


「……やっぱりお兄ちゃんだ」


「ややこしいな」


「だって」


「まあ、なんだっていい。なんであってもかまわない。きみを拒絶できないことぐらい、考えなくてもわかってる。俺が許せないのは俺自身だ。望むままに受け入れることができない。応えることができない……俺は、俺自身の愚かさが憎い。

 このままで、いいわけがない。

 この罪を償いたい。今夜は特別そう思えた。どうやって罪を償えばいいのかわからなくても、許される資格がなかったとしても、きみの不安を消すくらいの資格はあるだろうか。あるいはそれが、俺にできる唯一の罪滅ぼしにも思えて……今夜は、きみと話をしようと思った」


「……今夜だけなんて、許さないからね」


「……もう二度と、きみから目を離すつもりはない……これ以上、状況を複雑にしたくもない」


「うん」



「……まだ、これより強く抱きしめることはできない」


「それでもいい。あなたの罪はわたしの罪。あなたが苦しむというなら、わたしも永遠にあなたと苦しむの。あなたが罪を償うなら、わたしも一緒に罪を償う。

 わたしだけじゃない。この子だってそう。

 この子はわたしで、わたしの娘で、あなたの娘でもあるから……あなたの家族だから……だから、お願い。わたしたちにも協力させて……家族みんなで頑張れば、きっと償うことができるから」


「……家族」


「うん……きっと、ポチだって、手伝ってくれるよ」

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