4話 襲撃
村の入口の方角から、鋭い笛の音が響いた。
一度。
二度。
短く、切るような音。
サルミ兄の顔つきが変わる。
「……避難の合図だ」
「え?」
「コル、お前は家に戻れ!」
さっきまでの穏やかな声じゃない。
私は思わず背筋を伸ばした。
「な、なにがあったの?」
「いいから走れ!」
サルミ兄は縄を投げ捨て、近くの薪割り斧を掴む。
そのまま入口の方へ駆け出した。
⸻
村じゅうがざわつき始める。
家から大人たちが飛び出してくる。
子どもを抱える人。
荷を持つ人。
何が起きたかわからず立ち尽くす人。
「森の外に武装した連中だ!」
「人数は!?」
「まだわからん!」
声が飛び交う。
胸がどくんと鳴った。
武装した連中。
何のことか、よくわからない。
でも、みんなの顔を見れば、良くないことだけはわかった。
⸻
「お母さん……!」
家までの道を、私は夢中で走った。
さっきまで走っていたのに、今はまるで違う。
胸が苦しい。
足が軽いのに、重たい。
何が起きたのかわからない。
でも、サルミ兄の顔だけは忘れられなかった。
あんな顔、初めて見た。
⸻
「お母さん!」
扉を勢いよく開ける。
家の中では、お母さんが棚から布袋を下ろしていた。
お父さんは壁に立てかけてあった槍を手にしている。
ふたりとも、もういつもの顔じゃない。
「コル!」
お母さんが駆け寄ってきて、私の肩を掴んだ。
「無事でよかった……!」
「な、なにがあったの?」
「外から人が来たの」
「人?」
「いい人じゃない」
お父さんが短く言った。
その声に、ぞくっとした。
⸻
「コル、お母さんと一緒に避難場所へ行け」
「え?」
「すぐにだ」
「お父さんは?」
「俺は残る」
何のために、なんて聞かなくてもわかった。
外で、男の人たちが集まる声がしている。
道具を持つ音。
怒鳴る声。
走る足音。
村のみんなが動いている。
「やだ」
気づけば、口から出ていた。
お父さんが眉を上げる。
「コル」
「やだ! 一緒に行く!」
「だめだ」
「なんで!」
「お前を守るためだ」
言い返せなかった。
喉がつまる。
⸻
お母さんが私を抱きしめた。
「大丈夫。すぐ終わるわ」
その声はやさしいのに、少し震えていた。
大丈夫じゃない。
そう思った。
でも、何も言えない。
⸻
外からまた笛の音が鳴る。
今度はさっきより近い。
お父さんが扉へ向かう。
「裏手から行け。森側の避難小屋だ」
「あなたも必ず来て」
お母さんが言う。
「ああ」
お父さんはうなずいた。
でも、その背中はもうこちらを見なかった。
⸻
家の裏口から外へ出る。
お母さんに手を引かれて走る。
畑の間の細い道。
朝露で草が濡れている。
遠くで、怒鳴り声がした。
知らない声だった。
私はびくっとして、お母さんの手を強く握る。
「お母さん……」
「大丈夫。前だけ見て」
そう言われても、振り返ってしまう。
家々の向こうに、黒い影がいくつも見えた。
村の人じゃない。
知らない人たちだ。
棒や剣みたいなものを持って、走っている。
胸が冷たくなる。
⸻
そのとき。
広場の方から、誰かの怒鳴り声が響いた。
「子どもを先に逃がせ!」
サルミ兄の声だった。
私は思わず足を止めかける。
でも、お母さんが強く引いた。
「コル、走って!」
「……うん!」
涙が出そうになるのをこらえて、私はまた前を向いた。
森側の細道を、ひたすら走る。
草が足に当たる。
枝が腕をかすめる。
息が熱い。
お母さんの手は強くて、少し痛いくらいだった。
それでも、離してほしいなんて思わなかった。
離れたら、何か全部なくなってしまいそうで。
⸻
避難小屋は、村の外れにある古い木小屋だった。
狩り道具や保存食を置いておく場所で、私は何度か来たことがある。
そこにはもう何人も集まっていた。
小さな子を抱えたお母さんたち。
泣いている子。
青い顔の大人。
扉が開くと、みんな一斉にこちらを見る。
「コルちゃん!」
「無事だったかい!」
「よかった……!」
声が飛んでくる。
お母さんは私の背を押して、中へ入れた。
「ここにいなさい」
「お母さんは?」
「まだ外に人がいるの。手伝ってくる」
「やだ!」
思わず叫ぶ。
さっきから、やだしか言えていない。
でも、本当にやだった。
「置いてかないで」
声が震える。
お母さんはしゃがんで、私の頬に手を当てた。
「コル。ちゃんと聞いて」
いつものやさしい声だった。
「あなたはここで待つの。お父さんも、私も、戻ってくる」
「でも――」
「待つの」
その言い方だけ、少し強かった。
私は唇を噛んで、うなずくしかなかった。
⸻
お母さんが出ていく。
扉が閉まる。
小屋の中が急に狭く感じた。
ざわざわとした息遣い。
子どもの泣き声。
外から聞こえる遠い怒鳴り声。
私は扉の前に立ったまま、動けなかった。
⸻
「コルちゃん」
振り向くと、近所のおばさんが毛布を差し出していた。
「座りな」
「……いらない」
「寒いよ」
「寒くない」
本当は少し寒かった。
でも座ったら、泣いてしまいそうだった。
⸻
外で、何かがぶつかる大きな音がした。
誰かが悲鳴をあげる。
小屋の中の子どもたちまで泣き出した。
胸がぎゅっと縮む。
お父さん。
お母さん。
サルミ兄。
みんな、どうしてるんだろう。
⸻
私は気づけば、自分の手を見ていた。
何も持っていない。
木剣も置いてきた。
ただ、震えている手だけ。
それが悔しかった。
私は走れる。
剣も振れる。
なのに、ここで待つしかない。
何もできない。
⸻
また外で声がした。
今度は、近い。
小屋のすぐ外だ。
中の空気が凍りつく。
誰も喋らない。
足音がひとつ。
ふたつ。
土を踏む音。
扉の前で止まった。
小屋の中は、息を潜めたまま固まっていた。
泣きそうな子どもの口を、お母さんが押さえている。
誰も声を出さない。
外では、走る足音と怒鳴り声が行ったり来たりしていた。
その中に、木を引きずるような音が混じる。
「ひとまず閉じとくか」
知らない男の声。
その直後。
ぎ、ぎ、と何かが扉に当てられる音がした。
扉を開けようとした男の人が押してみる。
少しだけ動いて、すぐ止まった。
「……塞いでる」
誰かが、青い顔でつぶやいた。
外から何か立てかけられている。
小屋の空気が冷たくなる。
子どもが小さく泣いた。
その時だった。
「どけぇっ!」
外から聞こえた声に、私は顔を上げた。
サルミ兄だ。
すぐに、木と木がぶつかる音。
荒い足音。
誰かが地面を滑る音。
「……っ、くそ!」
またサルミ兄の声。
その声色に、違和感を感じた。
短く、切れて、苦しそうで。
いつもの余裕なんて、どこにもない。
胸がぎゅっとなる。
嫌だ。
とても嫌な感覚にコルは居ても立っても居られなくなった。




