第186話 俺たちの生きる場所
夕暮れ―――――
ほどなくして、大地を覆っていた水が引き、姿を現した道、町、そして王城。
全てが完全に戻ったわけじゃない。悲しい結末もあるだろう。それでも俺たちは立ち止まったりしない。やれることをやりながら前に進むんだ。
「天貴、アリス!みんなも、いつでも遊びに来てね!」
「ぜ~ったい、来てよ!!」
気品あるお辞儀をして馬車に乗り込んだ、リゼリア王女とリシェル王女。
「王様、城の復興の際は是非お声かけを」
「よい、ラクター将軍。今はそれぞれが自分の事を優先する時じゃ」
「……っは…」
俺たちは王族と城の人たちを見送ると、避難していた町の人たちもそれぞれの家に戻っていった。そうそう、帝国側の人たちは粛正の波が一波で止まったことで、思ったより被害はなかったらしい。向こうでは神の器に手を出した報いっていう筋が濃厚らしいし、またアグリスティアとの同盟関係が戻ればいいんだけど、そこはまるっちょ王様に期待するか。
「天貴ぃ!牛乳のむモー?」
「天貴ぃ!夜、出来立てのチーズ食うべ~?」
特別じゃない。いつもの調子で向けられる仲間たちの気づかいが、素直に嬉しい。
「てんぱい!風呂!風呂入りましょ!背中流さなきゃ」
こんな玄太の誘いも、俺の日常に欠かせない。
待てよ……?そういや、もう何日も風呂に入ってないな。さすがにこの身体、人としてヤバい域に達してる気がする。クザンとか神の器とか、なんかもうすべてを洗い流したい気分だ。
「ずるいぞ玄太よ!このリオックも天貴殿の背中を流したいぞ!」
「ダメっす!多少の事は目をつむっても、これだけは譲れないっす!」
「はぁ……こっちの争いは終わんねえのな……」
こいつらの背中流し争奪戦も、もはや微笑ましい……か?
「っふ……さわがしい奴らめ。隊長のお背中はこのコンバインにお任せを!」
「ぅん?あ、ああ」
なぜか勝ち誇ったようなコンバインさんと、おとなしく言いなりのラクターさん。こっちの平和な主従コンビが正直羨ましい。
「はいはい!じゃあ、みんな!ご飯の前にさっぱりしてらっしゃい!」
アリスの一声で、集まってたみんながワッと動き始めた。夕暮れの光に染まる畑の向こうで、誰かが小さく笑う。誰かが大きく伸びをする。世界が救われた直後だってのに、やることは結局いつもと同じだ。
「……あー、なんか、やっと終わった感じするな!」
「今さらっすか。さっき世界をひっくり返した人のセリフじゃないっすよ」
玄太に突っ込まれつつ、俺は肩を回す。身体の奥に溜まっていた疲れが、遅れて一気に押し寄せてきた。
「てんぱい、早く行きましょ!もう着替えのパンツも持って来ました!」
「いや、準備良すぎだろ……」
「そのパンツ、俺が持とう……!」
「リオックさんは自分のパンツでも持っててください!」
リビングを覗くと、クータンがソファでデカい腹を上にしたまま、ダウンしている。どうやら、甘乳パンの食いすぎらしい。
「げぷぅ……食いそびれた分を補給したら、腹が……」
「クータン……お前は本当にブレないな……」
そんななんでもないやり取りをしながらリビングを抜けると、湯気の匂いが廊下の奥からふわっと流れてきた。農場の皆が、ぞろぞろと風呂場の方へ向かっていく。
誰かが桶を落とし、誰かが「熱っ!」と声を上げ、すぐに笑いが起きる。騒がしいけど、その騒がしさが、懐かしくてうれしくて、妙に胸に落ち着いた。
「あ!!てんぱいの背中!天秤消えてる!!!」
「え、マジか!」
なるほど、そのチェックは重要だ。クザンの支配メーターの消失はかなり嬉しい。思わず小さくガッツポーズ。これで俺も普通の男の子に戻れたって、そういうことだろ?
「ひゅう!!じゃ、もう天秤にさわってぶっ倒れることもないっすね!」
「ほう!では、その艶めかしい背中に頬づりし放題という事ですな?」
なんだかあらぬ方向で沸き立つ、ぽっちゃりと固太りの暑苦コンビ。いや、天秤あろうがなかろうが頬づりし放題とか無えから。世界が救われた直後だってのに、やってることは相変わらずだ。
その日の食卓は大鍋囲んで、いつもより騒がしかった。野菜と肉のごちゃごちゃ鍋の横には、てんこ盛りのおむすびの山。
酒を飲んで騒いで、笑って、食って、笑って、呑んで、結局全部なくなる。特別な祝宴じゃない。英雄扱いもない。ただ、腹を満たすための飯。それが、今は何よりだった。
「ふぅぅぅ!食ったぁぁぁ!もう動けん」
「っすねぇ……てんぱい、おれたち、さっきの食い貯めクータンと一緒の事してるっすよ」
玄太のその一言で、食い倒れした仔牛を思い出す。神の器、身をもってクータンの気持ちを知る。
膨れた腹をさすりながら二人してソファでぐったりしていると、なにやらニヤケ顔で近づいてくるアリスとシーダ。
「天貴!玄太さん!これ、なーんだ!?」
「切り方は、これでよろしいのでしょうか?」
シーダが持つお盆の上には、赤い三角形の玄太の大好物が。日本の夏の風物詩。
「え、えええ!?スイカ」
「ゲドの兵士に潰されてたはず!いつの間に!」
「ふふ。実はシーダが天貴から預かった種を念のため取っておいたんだって!」
「お二人に内緒で、畑の隅で育ててたの!出来はどうかしら?」
シーダさんも粋なことしやがる。腹はいっぱいだけど、スイカなら別腹だ。久々のシャリシャリ食感と爽やかな甘みに、おやっさん農場の夏を思い出す。
スイカデビューの異世界のみんなの大絶賛を聴きながら、俺の口と耳は大満足で。
「ごっつぉーさんでした!」
「っした!」
んで、食ったら眠くなるのは自然の摂理。
早々に部屋に引き上げた俺のベッドに、枕を抱えたリオックと玄太が、当然の顔して押しかけてくる。
気が付けば、俺の頭はリオックの強制腕枕の上。その俺の腕には玄太の頭が乗っかり、さらに玄太の脇には、黒い仔牛が丸くなっている。
謎の三連腕枕で、俺のベッドはあっという間に満員御礼だ。リオックの腕にぐいっと力が入る。寝息はすでに規則正しく、完全にやつの意識は夢の中だ。
「天貴ど……お守りしま……むにゃ」
「ちょ、苦し……」
玄太が心なしか、じりじりと俺をリオック側に押し込んでくる。暑苦しいサンドイッチに文句を言う間もなく、次の瞬間――
どさっ。
鈍い音と同時に、俺の頭の下にあった、ごつい腕が消えた。
ベッドの下では、床に転がったリオックが枕を抱いたまま幸せそうに寝息を立てている。
玄太が目を閉じながらニヤっと笑って、俺の腕に頭を寄せ直す。クータンも「むにゃ」と小さく鳴いて、さらに丸くなった。
「……ふぅ」
それにしても、この世界にだって女子はいくらでもいるのに、なんで俺の周りには男ばっかり集まるんだか。
……まあ、カミサマが決めたルールだっていうなら、今さら文句も言えない。こんなふうに、当たり前みたいに隣にいて、何も言わずに眠ってくれる相棒がいるなら、悪くない。
――いや、きっとこれ以上ない。
とりあえず今は、はやく眠りたい。考えたいことは山ほどあったはずなのに、身体がようやく役目を終えたみたいに、意識を引きずり下ろされる。
そんな、なんでもない日常。
それでいい。
それがずっと続けばいい。
そんな風に思ってた――――
なのに。
「てんぱいダメ!行っちゃヤダっすよぉぉぉ!」
「玄太!げんたぁぁぁぁ!」
人生の相棒と決めた男の、引き裂かれるような叫びが目の前に突き刺さる。
誰も悪くない。誰の選択でもない。救われたはずの世界のその中で、あらかじめクザンが定めていた最後のルールが、静かに牙を剥いたのだ。
最高のエンディングを迎えたはずの俺たちを待っていたのは、祝福ではなく、代償でもなく、ただ「そうなると決められていた」無情な結末だった。




