花紺青の水袖(1)
采玉の葬儀は簡単に終わった。
潭国公は董蓉を、昕は鮑姨娘を責め立てた。そして昕はなぜ頭に血がのぼったのか声を荒らげて聞いてしまった。
「果翠のことよ……」
果翠は静心院に仕える侍女である。可憐で百合のような清らかさが漂っていた。その彼女に昕はほのかな恋心を抱いていた。昕は再び声を荒らげる。
「それとこれとは違うじゃないか!」
昕の声に阿好は怯えて部屋から飛び出して行った。また、鮑姨娘も怯える。気鬱だった彼女は言い返す気力もなかった。
「ごめなさい、ごめなさい……許して!母さんはあなたには名家のご令嬢を迎えて欲しいのよ!」
「私は庶子だ!名家の令嬢など嫁ぐわけがない!どんなに足掻いても庶子は嫡子に叶わない!」
昕に鮑姨娘はすがりついて泣き出した。
「何も言わないで!何も、何も!」
昕はあの日、潭国公と話したことを思い出した。
あの日は采玉が亡くなった日だった。
悲しみをまだ知らない時だ。潭国公に呼ばれた昕はいつものように飄々としていた。
しかし、神妙な面持ちの彼を見て昕はその雰囲気を消し去った。そして改まった表情で潭国公に目をやった。
「昕、お前に縁談が来ている」
「私にですか?」
「河南王の娘だ」
「庶子の私が王の娘を娶るのですか?!」
思わず昕は大声を出してしまった。だが、潭国公は冷静だった。そして鋭く言った。
「これが政治だ」
皇帝は異母の河南王が謀反を起こすのでは、と猜疑心を抱いていた。それ故に娘を人質のように潭国公に嫁がせるのだ。おまけに世子は元妃が世話をするという徹底ぶりだった。
「わかりました……お受け致します」
「果翠のことは申し訳ない」
「え……」
潭国公は深々と昕に頭を下げた。皇室の女を娶るというのは妾を持てないことを意味する。ただ、例外もあるが、そこは皇室の女たちの裁量次第だった。
「お前は駙馬になるから爵位は望めないだろう」
駙馬とは公主らの夫の事を指す。儀賓とも呼ぶ。モンゴル帝国が支配を強めていた高麗では駙馬王という呼び方もあったし、清王朝では額駙と呼んだ。
もっと言及すれば、李氏朝鮮では子のない王女たちは養子を迎えたし、夫は一回でも王女を妻にすると再婚は許されなかった。
それは婚礼を挙げる前に王女が亡くなっても続く。時の王はそれを不憫に思い駙馬の位を剥奪して結婚する自由を与えた。
「私のことは気になさらず。果翠に……淡い夢を見せていなければ良いのですが」
「河南王の娘、安慶県主は優しい娘と聞いているから……」
「いえ!」
昕は被せるように言った。少しだけ声が震えている。
「果翠を追い出すか、お兄様の妾にでもしてください!」
「昕!」
そう言い放つと昕は部屋を出て行った。部屋の前には潭国公の小姓である少星が不安に立ちすくんでいる。
「若様……」
「少星、今の話は聞かなかったことにしてくれ」
「はい」
昕は踵を返した。そこに阿好が擦り寄ってきた。昕は阿好を抱き上げると人知れぬ涙を流すのだった。
鮑姨娘は気鬱から、ますます外出も着飾ることもなくなった。秦姨娘が漢方を煎じても飲むことはしなかった。食も細くなる一方だった。
さすがに心配になった瑛は静心院に足を運んだ。静心院の鮑姨娘の部屋には道教の御札が所狭しと貼られていた。瑛は侍女を呼んだ。
「鮑姨娘の様子は?」
「全く良くならず……」
侍女の表情は曇るばかりである。
「奥様、ここは陰の気が強すぎます。お早めにお引取りを」
ガタン!
部屋の奥から物音がした。侍女と瑛は慌てて部屋の中に入ると鮑姨娘が寝台から落ちていた。侍女が何度も鮑姨娘の名前を叫ぶと、彼女はゆっくり目を開いた。
「采玉、采玉が……」
鮑姨娘はびっしょりと汗をかいている。
「鮑姨娘は采玉の夢をよく見るといっていて……」
「だから御札が」
(御札……莫云を引き入れる機会だわ)
「あなたは莫云という女道士を当たりなさい。鮑姨娘の看病は冬梅にさせるわ」
「かしこまりました」
貞観軒に戻りながら瑛は莫云と太子妃の関係を頭の中で整理していた。憶測ではあるが、太子妃は莫云との関係を続ければ廃妃にされる。儒教を重んじる宮中で子を成さず祭祀を継ぐ者がいなくなるのは重大な罪である。
太子妃は必ず罰を受ける。廃妃という思い罰だ。
「奥様……」
聞き覚えのする声がかすれるように聞こえてきた。采容である。すれ違いざまに彼女は言った。
「尚宮局から芳名録の写しを董蓉が持っていました」
「さっそく仕事をしたのね……感心だわ」
「こちらを……」
すっ、と采容は紙切れを渡した。瑛はその場で見ることはしなかった。誰かに見られないために部屋で目を通そうとしたのだ。
「ありがとう」
そう言うと瑛は貞観軒に帰って行った。部屋の中では春蘭が掃除をしている。彼女が現れると春蘭はホウキを壁に立てかけて頭を下げた。
「春蘭、この紙切れを見てみて」
そう言いながら瑛は座った。
太子宮の宮女阿鳶
幼名 渓児
紫紺袴袍を下賜
「采容は使えるわね」
瑛はにやりとした。芳名録には嘘は書けない。
そして采容が阿鳶に目をつけたのか直ぐに分かった。




