寂寞に揺れる冬柳(10)
鮑姨娘はものすごい剣幕で瑛に言い放った。
「怪しい侍女がいたのです!何かしらに巻き込まれているんですわ!奥様、早く侍女を集めてくださいませ!」
「鮑姨娘の気持ちは分かるけれど、一体、何を見たというの?」
瑛が落ち着いた口調で鮑姨娘に尋ねた。鮑姨娘は勢いそのままに見聞きした全てを話し出した。
「中庭に鷹を使う侍女がいたのです!静心院でも母屋でも見た事ない侍女でした!きっと何か事情がある者に違いませんわ!朝廷や後宮の回し者かも。公爵様は恨まれているはずですもの」
(まさか、調査しているのが?いや、これを知っているのは極わずか。春蘭や冬梅が裏切るわけがない……丹芍もそんなことしないわ。まさか、鮑姨娘が言う通り、朝廷……後宮が絡んでいるかも)
一旦、瑛は鮑姨娘の言う通りに侍女を集めることにした。落ち着かない様子の秦姨娘と張姨娘は自室に下がらせた。二人は同席したいと願い出たが、董蓉や陳姨娘のことを考えると退出させた方が何かと言い訳をするには楽だと判断したからである。
瑛は侍女頭に侍女らの名簿を用意させた。そして、瑛、鮑姨娘、侍女頭の三人で顔と名前を確認することにした。すぐに確認するのには理由があった。鮑姨娘が見たという侍女が何らかの騒動を起こすのではないかと、そういった不安もあったためである。
まずは潭国公に仕える侍女を確認することになった。奥向きのことは主母である瑛が仕切っているため、姨娘たちはもちろん、潭国公でも口出しができなかった。
侍女の中には潭国公の手のついている者もいるだろうと瑛は思ったが、正室と姨娘の対立を知っていれば保身のために名乗り出るものはいないだろう。
「鮑姨娘、公平を保つために貞観軒の侍女も確認してほしいわ。それに侍女頭なら見知らぬ顔がいたらすぐに分かるはずよね?違うかしら?」
「さようでございます」
侍女頭は頭を低くして返事をした。
「さ、奥様、早く確認してください」
鮑姨娘は瑛と侍女頭を急かすように言った。瑛はいささか困ったが、災いの種は早いうちに取り除くのが一番だと自分に言い聞かせてお屋敷中の侍女たちを確認することにした。そして侍女たちを貞観軒の庭に集めた。
「初めてちょうだい」
瑛の一声で全てが始まる。彼女はお腹が辛いと椅子に腰を下ろした。鮑姨娘はその脇にあった子椅子に腰を下ろして、侍女たちの顔を鋭い眼差しで見つめる。侍女たちは彼女の目の前に並ぶと侍女頭が読み上げる名前と共に彼女へ頭を下げた。
「公爵様がお休みになります、含元院付きの侍女から始めます。部屋付きの双児、詩語、葉葉……」
侍女頭に名前を呼ばれた三人は小気味よく頭を下げる。三人とも美人であった。しかし、三人の面立ちは共通はしていなかった。双児は豊満、詩語は涼しやか、葉葉は可憐である。この好みの幅を見る限り、瑛は潭国公が好色だと突きつけられた気分であった。潭国公の子を宿している身であるが、彼に対して吐き気のする思いがした。潭国公を早くから見限っている秦姨娘や張姨娘の行動は正解であると納得した。
「鮑姨娘、どう?」
「違います」
「奥様、鮑姨娘、次に進んでも?」
「ええ。確認が終わった侍女から仕事に戻して。そうでもしないとお屋敷が回らないわ」
「はい」
侍女頭は抑揚のない返事をした。
瑛は鮑姨娘に目配せをした。それに気がついた鮑姨娘は何度か小さく頷くと、視線をまた侍女の一列に向けた。瑛も自ずとそうした。
(この話は董蓉たちの耳にもう入っているはずね。仮に鮑姨娘が見たと言った侍女が董蓉の配下だったら?その時はその時で手を打たないと)
侍女頭が侍女の名前を読み上げて、それに鮑姨娘は首を横に振るというのが延々と続く。含元院、貞観軒、次は静心院と姨娘たちの侍女だ。瑛が疲れ始めていたころに采容に先導されたいかにも高価な毛皮を身につけた董蓉が現れた。
「あら、奥様。何をなさっているの?」
「あなたには関係ないことよ。奥向きに口を挟まないで。董姨娘は妾なのだから」
一瞬、董蓉が苦々しげな表情を浮かべた。
「腹が立つ?」
揚げ足を取るように瑛が言うと、董蓉は何とか平静を保ちつつ答えた。
「全く!正妻である奥様が奥向きを仕切って当然ですわ!ですが……」
瑛は董蓉を鋭利な目つきで睨んだ。しかし、彼女はそれに臆することなく続ける。
「知る権利はございますわ」
「なら、一緒にどうかしら?鮑姨娘が見た怪しい侍女を捜しているの。もし、董姨娘の配下だったらどうしようかしら?」
弾んだ声で瑛は董蓉に言った。瑛は董蓉の困惑した表情を見たかったが、彼女は澄ました顔をしている。
「そんなことあったら、頬を叩かせて追い出しますわ」
「何とも物騒ね。采容、あなたも確認するわ。董姨娘に椅子を用意したら、すぐに侍女たちに加わりなさい」
「はい」
采玉は丸椅子を用意すると裙をはためかせて臨香軒の侍女たちの列に加わった。状況が分かっていない采容を見つけた采玉が彼女の脇にやって来た。
「采玉、どういうことなの?」
「鮑姨娘が中庭で怪しい侍女を見たと言ったのよ」
「怪しい?それだけでこんな大事になるかしら……」
「そうね。奥様の考えが分からないわ」
二人は顔を見合せてため息をこぼした。瑛が迎えられてからお屋敷は物騒になっていた。それには大小の違いはあるが、董蓉が仕切っていた時に比べると騒ぎは大きいものになっている。長く仕える侍女たちの中には董蓉が正妻になった方が穏やかに過ごせると思う者もいた。
しかし、瑛を支持する侍女たちもいた。彼女たちは董蓉のやり方が恐怖で支配していると感じていた。あからさまな差配の贔屓もあった。瑛が正妻になると、少しずつではあるが風向きは分かってきていた。
「次は静心院の侍女を読み上げます」
侍女頭がそう言うと董蓉は遠目で列に並ぶ采容と采玉を見つめた。そして何を思いついたのか、艶めかしい微笑みを浮かべながら、彼女は瑛に問いかけた。
「ご存知ですか?静心院の果翠は昕若様と懇意になさってるみたいですわよ?」
それに反応したのは鮑姨娘であった。果翠は自分の侍女であったからだ。
「董姨娘、わたくしの侍女に何か文句でも?」
「静心院にこもってばかりの鮑姨娘には分からないでしょうけど、果翠が昕若様を見つめて耳まで赤く染めていたそうよ?果翠は可憐な容姿だし、性格も控え目だわ。お願いして果翠を昕若様の姨娘になさっては?」
「まあ!静心院のことはわたくしがするわ!」
鮑姨娘は立腹した。すると董蓉は声を上げて笑った。
「静心院も含めて仕切るのは奥様ですわ!鮑姨娘は庶母にしか過ぎないわ」
「見苦しいわよ。黙りなさい!」
見かねた瑛が鶴の一声で二人を黙らせた。見計らったのように侍女頭が名前を読みあげ始めた。
「静心院付きの侍女、果翠、如歌、菊花……」
「奥様、この中にはおりません」
「自分の配下だから庇えるのでは?」
董蓉は薄気味悪い笑みを鮑姨娘に向けた。それには鮑姨娘は返事に詰まってしまった。隙あらばと、董蓉は続ける。
「怪しい侍女が実はこの三人にいるのでは?」
「そんなずはないわ!」
鮑姨娘は立ち上がると董蓉に怒鳴りつけた。
「その態度だと誰かを……」
董蓉は笑った。瑛は言葉を慎むように二人をたしなめた。しかし、鮑姨娘は火がついてしまったのか、列に並んでいた采容を名指しして声を荒らげた。
「あの侍女が私が見た侍女に似ていますわ!」
采容はゾワッと背中に悪寒が走った。