宙に浮く国
山が飛んできた。
もしも、この世界に生まれ落ちた者が初めてその光景を目の当たりにしたら、そんな言葉を口にするかもしれない。
しかし実際は、その言葉でも不十分だった。
それは山などではなく、“国”なのである。
地面に巨大な影を落としながら、視界を徐々に埋め尽くしていくそのあまりに巨大な塊。空を、地面を引き裂くように悠然と宙に浮くそれは、しかしとても静かだった。
架空の世界に生きるという天を衝く巨人。彼らが誰よりも優しい心を持ち、静かに歩を進めたとしても、この国のように静かにはできまい。
それも当然なのかもしれない。この国は、この世界において自然の一部なのだから。植物が萌え、水が流れ、風が吹き、雲が流れ、動物が走り、国が空を飛ぶ。そういう節理の一部として存在していた。
その塊は、何かを思いついたように地面に脚を延ばし始めた。
一本……二本……三本……四本……
伸びた脚の先は爪のような形をしていた。それは獣が肉に爪を突き立てるように地面を抉り、掴んだ。何本もの脚がガチリ、ガチリと音を立ててそうするうちに、巨大な塊は動きを緩め、獲物に止めを刺して一息ついたようにその場に止まった。荒々しい底面が、広く深い森を舐めるように見つめている。
その塊の天辺から、虫のようなものが何匹も飛び出した。アメンボのような形をしたそれの脚には太いロープが括り付けられ、そのロープは大きな箱につながっていた。アメンボが力を振り絞って荷物を運ぶ、そんな愛らしさと力強さを持った姿だった。
静かに降り立つそれは、まず箱を静かに地面に着け、自分の四本の脚をふわりと地面に着けた。
アメンボの胴体は一部ガラスになっており、その中からいくつもの目が周囲を見渡した。やがて安全を確認し終えたのか、ガチャリと音を立てて胴体が開いた。
中から現れたのは、人間の男たちだった。年齢は様々だが、服に隠された身体は皆引き締まっており、柔軟性を持った筋肉が自分を主張している。
銃を持った彼らは何かを打ち合わせした後、楽しさと緊張感を顔に浮かべ歩き始めた。静かに、しかし力強い歩みだった。
双眼鏡をのぞく、若く背の高い男がサインを出した。レンズの中には、木陰で休む鹿の姿があった。
その瞬間彼らは静かに獲物を狙う獣の群れになった。目には火を灯し、頭は氷を当てたかのように冷え、体は自然に溶け込み緑の一部となっていく。その牙が届く距離まで、じわじわ、じりじりとにじり寄って行く。
ドォン!
獲物に向けられた銃口、そこから人間の作りだした不格好な牙が飛び出し、空気を貫きながら一直線に飛ぶ。何かを感じ取った鹿は慌てて逃げようとするが、体を貫かれ立ち上がることも許されなかった。
男たちは歓喜の声を上げると、獲物を荷台に乗せ、さらに深い森の中へ行進していった。
探し、気配を殺し、動物を仕留める、荷台に乗せる、時々果実や野草をむしり取る。そのルーティンワークを彼らは黙々と進めていった。
空が赤く染まったころ、疲労をにじませた男たちが元の場所へ帰ってきた。その顔は疲労だけでなく、充実感、獲物を逃した悔しさ、思わぬ反撃を受けた際の出血など、三者三様であった。
箱には血を流し終えた獲物たちが積み込まれ、また別の箱には採取した果実や薬草なども詰め込まれていた。いずれも彼らの国では収穫することができないもので、国の中では彼らの帰りを、そして戦利品を多くの人たちが待ち望んでいるに違いない。
上々の収穫だったのだろう、男たちはアメンボに乗り込み、朝の光景の逆再生をするかのように、宙に浮く国へ続々向かっていった。しかし一匹一匹が飛び立っていく中、一機のアメンボがその頭(構造的には胴体と言った方が正しい)を悩ませていた。
「やれやれ……危うく鹿と間違えて撃ち殺しちまうところだったな」
最後に残ったアメンボの中の男は、その獲物を見て、そうつぶやいた。
汗と、垢と、血と、泥で汚れ尽くされた細い身体。息は細く、心臓の鼓動は申し訳なさそうに体を打っていた。あと一日でも発見が遅れていれば、心臓はもう動くことを諦めていたかもしれない。
怪我人を見慣れているのだろう。狩人の彼らは手際よく傷を消毒し、包帯を巻き、病院へ運ぶべく静かにアメンボを飛ばした。
この世界を旅する回遊国の一つ“シュヴァルベ”。
今、一人の青年が、この国に迎え入れられたのだった。
初めての投稿であり、初めての小説です。
まずは完結させることを目標にしたいです。




